Donald Judd “Untitled” 1989.
Donald Judd “Untitled” 1972.
アート界では村上隆が東浩紀の援護射撃のもとスーパフラットを唱え、社会を見渡せば、右へ倣えで、どの会社も明確なヒエラルキーを消しフラットな組織作りを目指している。価値の多様化を尊重すればお山の大将は不要であるどころか悪であり、堅固な真実を歌うほど時代遅れに見えることはない。
だから建築も平らにという理屈は分からないではない。建築は社会の鏡なんだから。
しかし、建築ってそんな簡単に社会の鏡か??会社の組織論と同列の地平で語りうるのか??そうした疑問が実はこの何年か僕の心の奥にあった。
そして最近これは違うと思い始めた。社会やアートが平らだから建築が平らなのではない。建築が平らなのは別の理由からだ。と。
そう思うきっかけを作ってくれたのは、コールハースの”generic”という概念である。つまり普通ということ。あるいは無印ということ匿名的ということ。コールハースのこの概念自体はおそらく10年以上も前に彼が世界の大都市を見ながら唱えていたことであるから別に目新しいものではないし、そうした概念の延長上にミースをおいて、だからミースはかっこいいと言っていた訳だ。
コールハースの言うことがいつも正しいわけではないけれど、ここのところの時代のつかみ方は共感できる。つまり現在の都市の楽しさのひとつには自分を溶解させられ、自らの主体を匿名化できる都市の空気のありようが挙げられる。ネット社会の匿名性にも通ずるのだが、こうした「僕責任とりません」的な安易さにも後押しされながらも、現実と虚構の狭間を浮遊する快感はこの匿名性無しには得難いものである。
そして建築は、この匿名性を求めて動いた。その先にある快感を欲した。それがいつの時代でもそうであるかどうかは分からないが、アフタポストモダニズムの建築界ではその方向に建築は動いたのである。動かした力は繰り返しになるが、地滑り的な快感への希求である。
さてそれでは匿名性の建築とは何なのか?建築でそれを作ろうとしたときに、現代においてそれを求めたときに、それは何であり得るのか?コールハースが言うまでも無く現在の建築で最も匿名的なものはカルテジアングリッドである。近代的合理性という亡霊は未だこの世を跋扈し、否定する素振りの仮面の下に常に見え隠れしているのである。カルテジアンなこと。この普通さが匿名性を求める建築の向こう側に置かれたのである。
くりかえすが、時代がフラットだから建築がフラットになったのではない。匿名的な快感を求めたからカルテジアンなフラットな建築が登場したのである。
I 重箱モダニズムの起源
−機能主義建築の系譜− ワーグナーの目的建築論
a, コンサヴァウィーン
b, 原広司の分析
II 重箱モダニスト1
−重箱ミース
−zoned plan
i. 矩形の箱の分解
ii. 諸機能の独立と最適な位置への配置
III 重箱モダニスト2
1)重箱コルビュジェ
a, コルビュジェのドローイング アクソメの多用
b, デ・スティールのドローイング
【コルビュジェ建築の古典性】
IV 重箱モダニストの変貌
1)変貌への契機 −「近代の純化」 フラットプラン
V 非機能性の土壌
−当時の抽象絵画の流れ
a, バウハウス −バウハウス叢書
b, ヴォリンガー 『抽象と感情移入』
VI ちょっと休憩 重箱の巨匠 ルイスカーン
−サーブドスペースとサーバントスペース
VII 現在の平皿1
1)ミースは残ったか?
a, ジェンクスによる攻撃 『ポストモダニズムの建築言語』
b, ポンピドゥーの目指したもの
c, コールハースの登場 −匿名性の評価
d, 妹島和代の目指すもの −固有性の排除 匿名性の自由
VIII 現在の平皿2(重箱的平皿)
1)自由からの逃走?
a, 坂本一成の段々畑
b, 西沢立衛の坪庭建築
《参考文献》
[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。
- オットー・ワーグナー(Otto Wagner)、1997(1895) 『近代建築』(樋口清訳)、中央公論美術出版 [C]
● モダニズム期ウィーンにおける新旧衝突の中でワグナーの改革精神が伝わってくる。
- 八束はじめ、2001 『ミースという神話』、彰国社 [A]
● コルビュジェに続く八束氏のモダニズム建築家モノグラフ。斬新な読み取りはコルビュジェ論に変わらず興味深い。
- 八束はじめ、1983 『ル・コルビュジェ』、岩波書店 [B]
● モダニスト建築家の両義性を暴いたポレミックなモノグラフ。
- 山本学治/稲葉武司、1970 『巨匠ミースの遺産』、彰国社 [B]
● 日本人による初期ミース論の秀作。
- 原広司、1976 『空間<機能から様相へ>』、岩波書店 [B]
● 日本人によるまともなモダニズム批判。
- 原広司、1967 『建築に何が可能か』、学芸書林 [C]
● 有孔体理論確立の書。
- エドワード・R・デ・ザーコ(Edward Robert De Zurko)、1972(1957)『機能主義理論の系譜』(山本学治、稲葉武司訳)、鹿島出版会 [C]
● 20世紀の産物と思われている機能主義の系譜をヴィトルヴィウスに遡り解説する。
- ヴォリンゲル(Wilhelm Worringer)、1953(1908)『抽象と感情移入』(草薙正夫訳)、岩波文庫 [B]
● 建築の創造を理解していく上ではとても重要な抽象概念についての解説。
- テオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg)、1993(1925)『新しい造形芸術の基礎概念 バウハウス叢書6 』 (宮島久雄訳)、中央公論美術出版 [D]
● バウハウス叢書はすべて当時のモダニズムの息吹が伝わる興味深い書。なかでもドゥースブルフはもっともラディカルなモダニストであり、その理論は力強い。
- ヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、1995(1928) 『点と線から面へ バウハウス叢書9 』(宮島久雄 訳)、中央公論美術出版 [D]
● カンディンスキーは画家であると同時に緻密な理論家でもあったことがよく分かる。
- チャールズ・ジェンクス(Charles Jencks)、1978(1978)「ポストモダニズムの建築言語」 『a+u』 1978年10月臨時増刊号、エーアンドユー [B]
● ポストモダニズムという言葉を定着させた、記念すべき書。
- Rem Koolhaas, 1991 “S, M, L, XL”, 010Publishers [B]
● モダニズム建築の量の表現力(非表現力)を扱った最初(で最後)の書。
- TN プローブ編、2002『都市の変異』、NTT出版 [C]
● 都市が建築の対象としてだけでなく、芸術の対象ともなっているその融解した状況説明。
- レム・コールハース編集、1995 『レム・コールハースのジェネリック・シティ』、TNプローブ [D]
● ゴシップ週刊誌のような装丁のこの展覧会カタログが普通の始まりだった。
- 坂本一成、2001『坂本一成 住宅 —日常性の詩学』、TOTO出版 [B]
● 建築界で最も緻密な論理を組み立てる坂本の最新の作品と言説(日常性とコールハースのジェネリックはどこかで結ばれる)。
- ハインリッヒ・ヴェルフリン(Heinrich Wolfflin)、1961 (1915)『美術史の基礎概念』(守屋謙二訳)、岩波書店 [B]
● クラシック(=モダン)を平らだと最初に言ったのはヴェルフリンだった。
- 東浩紀/大澤真幸、2003 『自由を考える』、 日本放送出版協会 [A]
● 匿名性の自由を考える書。
- エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky)、2002(1962)『<象徴形式>としての遠近法』(木田元監訳)、哲学書房 [B]
● 透視図が時代の精神性を表出する感性記号であると看破。
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