投稿者: Yusuke Sagawa
第8回 消費性
パンテオン A.D.2 ローマ
私が学部3年生の時、今は亡き建築家篠原一男は故倉俣史朗を非常勤講師に招き、ショップという課題を学生に出した。それはインテリアデザインである。国立大学の工学系の建築学科においてインテリアデザインを、しかも商業建築を課題に出したのは当時としては新しい試みだったに違いない。商業施設なるものはそもそも『建築』ではなかったと思われる。戦後建築といえば公共施設であり、その後、住宅もやっと『建築』になり、そして商業施設がそろそろ『建築』に仲間入りするときだったのだと思う。倉俣史朗が来た次ぎの年磯崎新がパラディウムというディスコをニューヨークに設計した。バブルが始まる頃である。
目次
1.永遠の建築
1.1 神殿
1.2 神としてのオーダー
1.3 王の建築
2.消費社会の到来
2.1 人の建築
2.2 フォードから西武
3.消費される建築
3.1 消費される場としての建築
3.2 ファッションと建築
3.3 大量生産住宅
3.4 消費の海
3.5 デザインの消費
4.消費を拒む建築
4.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
4.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
4.3 消費されない視覚:妹島和世
4.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas
4.5 環境派
4.6 リノベーション派
4.7 物質派
5.消費社会への戦略
5.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
5.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
5.3 消費されない視覚:妹島和世
5.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas
《参考文献》
- 伊東豊雄、2000、『透層する建築』、青土社、伊東の2000年までの仕事記録
- ジャン・ボードリヤール、1968(1980)、『物の体系』宇波彰 訳、法政大学出版
- ジャン・ボードリヤール、1979、『消費社会の神話と構造』今村仁司、塚原史 訳、紀伊国屋書店
- 西村清和、1997、『現代アートの哲学』、産業図書
- 松井みどり、2002、『ART IN NEW WORLD』、朝日出版
- 美術手帳編集部[編]、2005、『現代美術の教科書』、美術出版
- 東浩紀、2001、『動物化するポストモダンーオタク社会から見た日本』、講談社現代新書
- エイドリアン・フォティー、坂牛卓 辺見浩久監訳 2006、『言葉と建築』、鹿島出版会
- 柄谷行人、1988、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫
- HERZOG AND DE MEURON、2002、『NATURAL HISTORY』、LARS MULLER PUBLISHERS
- 谷川渥、2006、『美のバロキスム』、武蔵野美術大学出版局
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第7回 学生発表
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第6回 倫理性
イマニュエル・カント 肖像画 (wikimedia)
建築はそもそも造形芸術だった(今でも過去形にはしたくないが)。しかし20世紀にはいってコルビュジエが言うように建築は「機械」となってしまった。機械というものは人の利便のためにある。それは社会のためにならなければならない。その意味でそれは機械の倫理を背負わされた。近代建築のそうした倫理性について、建築芸術論者は反論をする。しかし21世紀にはいると、この倫理性は20世紀とは少し様子が違ってきている。
また倫理性を少し離れた建築本来の姿に戻ろうとする流れも見受けられる。
目次
1.建築外的思考批判
1.1 倫理とは
1.2 建築における倫理性
2. ポストモダニズム期の倫理
2.1 一般論
2.2 建築においては
2.3 倫理学と建築の接点
3.21世紀の倫理性
―エコロジー
4悪党性とは…
4.1 みかんぐみ
4.2 石上純也
4.3 藤本壮介
4.4 坂牛卓
《参考文献》
- 佐藤俊夫、1960、『倫理学』、東京大学出版界
- エイドリアン・フォーティー、2000、『言葉と建築』、鹿島出版会
- デヴィッド・ワトキン、1981、『モラリティと建築』、鹿島出版会
- ジュージ・マイアソン、2007、『エコロジーとポストモダンの終焉』、岩波書店
- 東京国立近代美術館、1986、『近代の見なおし、ポストモダンの建築1960-1986』、朝日新聞社
- 石山修武、1984、『「秋葉原」感覚で住宅を考える』、晶文社
- みかんぐみ、2007、『別冊みかんぐみ2』、エクスナレッジ
- 石上純也、建築ノートNo1「二つの森のプロジェクト」 誠文堂新光社
- 坂牛卓、新建築、2005、7月号「生産の場から再生の場へ」新建築社
- 藤本壮介、SDレビュー2004「アンケート、建築家たちのサスティナブル観」鹿島出版会
- 安藤忠雄×中村光男、新建築、2006、別冊8月号「環境が切り拓く都市」新建築社
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第5回 他者性
フラ・アンジェリコ、受胎告知、1437−46、サン・マルコ美術館(フィレンツェ)、wikimedia
コンテンポラリーダンスグループ、レニ・バッソの主宰者北島明子は自ら振り付けをする立場ながら、「割り当てられた位置に、決められたタイミングでいく」ということに違和感を感じると言う。それは振り付けの概念をそもそも否定しているようにも聞こえる。しかしここで彼女はコンタクト・インプロヴィゼーションという、ダンサー相互の位置関係で振り付けが変わるような方法を編み出した。
つまりダンサーの主体性で踊りを見せるのではなく一つの主体と他者との関係性を見せる振り付けを編み出したのである。建築にも似たようなところがある。建築家が自らの強い主体性を打ち出すことに違和感を感じる人が多い。あるいは創作とは常に主体性と他者性の表裏一体となった化合物なのかもしれない。しかし主体と他者はそう簡単に線引きできるものでもない。
目次
1.近代主体の成立
1.1 ルネ・デカルト
1.2 科学の発展が神の力を希薄にした
1.3 科学が建築に与えたもの
1.4 科学が主体性を奪う
2.近代主体の成立
2.1 科学が人間主体に取って代わる
2.2 哲学的考察
2.3 シミュレーショニズム
3.主体崩壊後の可能性
3.1 主体と表現の乖離
3.2 建築専門誌の衰退
3.3 他者の入り込む美学
3.4 主体と他者の拮抗
《参考文献》
- 江藤淳、1993年(1978年初版)『成熟と喪失−母の崩壊−』、講談社文芸文庫
- 大塚英志、2004年、『「おたく」の精神史、1980年代論』、講談社現代新書
- 隈研吾、2004年『負ける建築』、岩波書店
- 谷川渥、1993年『美学の逆説』、勁草書房
- 橋本治、2002年、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』、ちくま新書
- 当津武彦、1988年、『美の変貌−西洋美学史への展望』、世界思想社
- 多木浩二、2000年、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、岩波書店
- 松岡正剛、1995年、『フラジャイル−弱さからの出発』、筑摩書房
- テリー・イーグルトン、1996年、『美のイデオロギー』、訳・鈴木聡、他、紀伊国屋書店
- 佐々木健一、1995年、『美学辞典』、東京大学出版会