第13回 ソーシャル

目次

1.リレーショナルな時代

 関係性の美学/『Casa BRUTUS』/「関係性の美学」批判/

 キュレーションの時代/

 アンドリュー・ブローベルトによる「Relational Design」の概念

2.ソーシャルとは

 ソーシャリズムとソーシャル・アーキテクチャーの歴史/

 セルバンテス文化センターでのシンポジウム

3.公共性

 公共空間とは/αスペース

4.ソーシャル・デザインへの取り組み

 《リーテム東京工場》アートイベント(2005)/

 αスペース(2012)/

 《松の木のあるギャラリー》(2013)/

 祭りワークショップ(2014)/

 富士吉田市製氷工場リノベーション(2016)/

 ソーシャルであることの危険

 

第11回 グローバリゼーション

07ジョバンニ・ミケルッチ他 フィレンツェ サンタ・マリア・ノッベラ停車場 1934

大学院生の時学部3年の非常勤講師として原広司先生が来られスライドレクチャーを行なった。風土を大事にした建築を作るという原さんのマニフェストが学生にも分かりやすく語られていた。風土を大事にするとはどういうことだろうか? それは風土から何かを吸収することなのか? このとき見せてもらった原さんの作品は黒く塗られた下見張りの木造建築が多かった。確かにインターナショナルではないが、どれもが似たようなデザインだった。風土的ならそれぞれ風土に合わせて異なるのが自然では? と少々疑問も持った。

世界は一通りではないはずだが、では何通り作れば気が済むのだろうか? 場所ごとに全部違うということなのだろうか? 新宿と渋谷で違わなければいけない理由はあるのだろうか? あるとすればその基準はなになのだろうか?

グローバリゼーション 目次

1.帝国の時代

 ローマ/世界の帝国

2.第一次グローバリズム

 ナショナリズム/インターナショナル・スタイル/ローカリズム

3.キッチュなローカリズムへの反動

 クリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)/

 ダーティ・リアリズム/ワークショップ建築

4.第二次グローバリズム

 ネオリベラリズム/商品化する建築

5.ネオリベラリズムへの反動

 スロー文化/スライム・アーキテクチャー

アート 目次

1.ポストモダニズムとは何だったのか

 モダニズムという自律性の崩壊

2.接近の可能性

 日常性/ファッション性/視覚性

3.接近の罪悪

 デザインと犯罪

第9回 階級性

06ジャン・ペロー『エッフェル塔の前で』
成実弘至編『モードと身体』
角川書店2003より

建築界には「豪邸問題」と言う言葉がある。「豪華」な住宅が必ずしもいい建築作品にはならないという事柄を意味する。潤沢な資金のもとに作られる豪華な家は一見素晴らしい建築作品になると思われがちである。しかし、なかなかそうもいかない。そうした潤沢な資金を持つクライアントが抱く豪華さを象徴するデザインのステレオタイプが建築家の創造性と齟齬をきたすのである。つまり建築の創作を困難なものにしてしまうのである。その昔、様式の使い方とその修辞が建築家の技だったときはまだしも、現在こうした類型化した技法を当てはめても創作にはならない。

しかし昨今のクライアントは徐々にそうした類型化した豪華さが所謂「成金」という記号になることを知り始めた。それを恥と思うようになってきている。かれらもかなり勉強をしている。その中で彼等は記号を求めなくなり、徐々に本当の意味での生活のクオリティを欲している。それは階級を忌避し、格差を見せず、個別性を望むことのようである。

目次

1.階級と様式の生成

 支配層と人民/有閑階級の理論

2.ファッションにおける平準化

 十八世紀/ココ・シャネル/クレア・マッカーデル

3.芸術の平準化

 クラシック音楽における平準化/ポップアート、ポピュラー・ミュージック

4.建築における平準化

 理念としての大衆化/理念としての大量生産/商品化住宅

5.格差の克服

 格差の誕生/疲弊社会/疲弊からの脱出

第8回 消費性

05パンテオン A.D.2 ローマ

私が学部3年生の時、今は亡き建築家篠原一男は故倉俣史朗を非常勤講師に招き、ショップという課題を学生に出した。それはインテリアデザインである。国立大学の工学系の建築学科においてインテリアデザインを、しかも商業建築を課題に出したのは当時としては新しい試みだったに違いない。商業施設なるものはそもそも『建築』ではなかったと思われる。戦後建築といえば公共施設であり、その後、住宅もやっと『建築』になり、そして商業施設がそろそろ『建築』に仲間入りするときだったのだと思う。倉俣史朗が来た次ぎの年磯崎新がパラディウムというディスコをニューヨークに設計した。バブルが始まる頃である。

目次

1.永遠性の喪失

 神、王の建築/人々の建築

2.消費社会の成立と変容

 消費者社会の成立/実消費から虚消費へ/ファッションと建築

3.消費との距離

 伊東豊雄-消費の海/坂本一成-違反/

 レム・コールハース-ジェネリック/ポスト大衆消費社会

4.二十一世紀への展望

 脱物質主義

第6回 倫理性

04イマニュエル・カント 肖像画  (wikimedia)

建築はそもそも造形芸術だった(今でも過去形にはしたくないが)。しかし20世紀にはいってコルビュジエが言うように建築は「機械」となってしまった。機械というものは人の利便のためにある。それは社会のためにならなければならない。その意味でそれは機械の倫理を背負わされた。近代建築のそうした倫理性について、建築芸術論者は反論をする。しかし21世紀にはいると、この倫理性は20世紀とは少し様子が違ってきている。

また倫理性を少し離れた建築本来の姿に戻ろうとする流れも見受けられる。

目次

1.モダニズム期の倫理

 黎明期-ジェフリー・スコットの理路/

 終焉期-デーヴィド・ジョン・ワトキンの理路/建築内的思考

2.ポストモダニズム期の倫理

 建築において/倫理学と建築の接点

3.二十一世紀の倫理性

 エコロジー

4.悪党的、倫理の乗り越え

 ハビトゥスの書き換え/規範性と固有性#1/規範性と固有性#2

第5回 主体性

03フラ・アンジェリコ、受胎告知、1437−46、サン・マルコ美術館(フィレンツェ)、wikimedia

コンテンポラリーダンスグループ、レニ・バッソの主宰者北島明子は自ら振り付けをする立場ながら、「割り当てられた位置に、決められたタイミングでいく」ということに違和感を感じると言う。それは振り付けの概念をそもそも否定しているようにも聞こえる。しかしここで彼女はコンタクト・インプロヴィゼーションという、ダンサー相互の位置関係で振り付けが変わるような方法を編み出した。

つまりダンサーの主体性で踊りを見せるのではなく一つの主体と他者との関係性を見せる振り付けを編み出したのである。建築にも似たようなところがある。建築家が自らの強い主体性を打ち出すことに違和感を感じる人が多い。あるいは創作とは常に主体性と他者性の表裏一体となった化合物なのかもしれない。しかし主体と他者はそう簡単に線引きできるものでもない。

目次

1.近代主体の成立

 主体を支えた科学/主体建築の寿命

2.近代主体の変容

 科学の独り歩き/哲学的変容/メディアの発展/八十年代の視線

3.主体変容後の可能性

 他者の入り込む美学/他者の入り込む場所/

 主体と他者の拮抗/アルゴリズミックな可能性