第8回 消費性

05パンテオン A.D.2 ローマ

私が学部3年生の時、今は亡き建築家篠原一男は故倉俣史朗を非常勤講師に招き、ショップという課題を学生に出した。それはインテリアデザインである。国立大学の工学系の建築学科においてインテリアデザインを、しかも商業建築を課題に出したのは当時としては新しい試みだったに違いない。商業施設なるものはそもそも『建築』ではなかったと思われる。戦後建築といえば公共施設であり、その後、住宅もやっと『建築』になり、そして商業施設がそろそろ『建築』に仲間入りするときだったのだと思う。倉俣史朗が来た次ぎの年磯崎新がパラディウムというディスコをニューヨークに設計した。バブルが始まる頃である。

目次

1.永遠の建築

 1.1 神殿
 1.2 神としてのオーダー
 1.3 王の建築

2.消費社会の到来

 2.1 人の建築
 2.2 フォードから西武

3.消費される建築

 3.1 消費される場としての建築
 3.2 ファッションと建築
 3.3 大量生産住宅
 3.4 消費の海
 3.5 デザインの消費

4.消費を拒む建築

 4.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
 4.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
 4.3 消費されない視覚:妹島和世
 4.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas
 4.5 環境派
 4.6 リノベーション派
 4.7 物質派

5.消費社会への戦略

 5.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
 5.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
 5.3 消費されない視覚:妹島和世
 5.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas

《参考文献》

  1. 伊東豊雄、2000、『透層する建築』、青土社、伊東の2000年までの仕事記録
  2. ジャン・ボードリヤール、1968(1980)、『物の体系』宇波彰 訳、法政大学出版
  3. ジャン・ボードリヤール、1979、『消費社会の神話と構造』今村仁司、塚原史 訳、紀伊国屋書店
  4. 西村清和、1997、『現代アートの哲学』、産業図書
  5. 松井みどり、2002、『ART IN NEW WORLD』、朝日出版
  6. 美術手帳編集部[編]、2005、『現代美術の教科書』、美術出版
  7. 東浩紀、2001、『動物化するポストモダンーオタク社会から見た日本』、講談社現代新書
  8. エイドリアン・フォティー、坂牛卓 辺見浩久監訳 2006、『言葉と建築』、鹿島出版会
  9. 柄谷行人、1988、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫
  10. HERZOG AND DE MEURON、2002、『NATURAL HISTORY』、LARS MULLER PUBLISHERS
  11. 谷川渥、2006、『美のバロキスム』、武蔵野美術大学出版局

第6回 倫理性

04イマニュエル・カント 肖像画  (wikimedia)

建築はそもそも造形芸術だった(今でも過去形にはしたくないが)。しかし20世紀にはいってコルビュジエが言うように建築は「機械」となってしまった。機械というものは人の利便のためにある。それは社会のためにならなければならない。その意味でそれは機械の倫理を背負わされた。近代建築のそうした倫理性について、建築芸術論者は反論をする。しかし21世紀にはいると、この倫理性は20世紀とは少し様子が違ってきている。

また倫理性を少し離れた建築本来の姿に戻ろうとする流れも見受けられる。

目次

1.建築外的思考批判

1.1 倫理とは
1.2 建築における倫理性

2. ポストモダニズム期の倫理

2.1 一般論
2.2 建築においては
2.3 倫理学と建築の接点

3.21世紀の倫理性

―エコロジー

4悪党性とは…

4.1 みかんぐみ
4.2 石上純也
4.3 藤本壮介
4.4 坂牛卓

《参考文献》

  1. 佐藤俊夫、1960、『倫理学』、東京大学出版界
  2. エイドリアン・フォーティー、2000、『言葉と建築』、鹿島出版会
  3. デヴィッド・ワトキン、1981、『モラリティと建築』、鹿島出版会
  4. ジュージ・マイアソン、2007、『エコロジーとポストモダンの終焉』、岩波書店
  5. 東京国立近代美術館、1986、『近代の見なおし、ポストモダンの建築1960-1986』、朝日新聞社
  6. 石山修武、1984、『「秋葉原」感覚で住宅を考える』、晶文社
  7. みかんぐみ、2007、『別冊みかんぐみ2』、エクスナレッジ
  8. 石上純也、建築ノートNo1「二つの森のプロジェクト」 誠文堂新光社
  9. 坂牛卓、新建築、2005、7月号「生産の場から再生の場へ」新建築社
  10. 藤本壮介、SDレビュー2004「アンケート、建築家たちのサスティナブル観」鹿島出版会
  11. 安藤忠雄×中村光男、新建築、2006、別冊8月号「環境が切り拓く都市」新建築社

第5回 他者性

03フラ・アンジェリコ、受胎告知、1437−46、サン・マルコ美術館(フィレンツェ)、wikimedia

コンテンポラリーダンスグループ、レニ・バッソの主宰者北島明子は自ら振り付けをする立場ながら、「割り当てられた位置に、決められたタイミングでいく」ということに違和感を感じると言う。それは振り付けの概念をそもそも否定しているようにも聞こえる。しかしここで彼女はコンタクト・インプロヴィゼーションという、ダンサー相互の位置関係で振り付けが変わるような方法を編み出した。

つまりダンサーの主体性で踊りを見せるのではなく一つの主体と他者との関係性を見せる振り付けを編み出したのである。建築にも似たようなところがある。建築家が自らの強い主体性を打ち出すことに違和感を感じる人が多い。あるいは創作とは常に主体性と他者性の表裏一体となった化合物なのかもしれない。しかし主体と他者はそう簡単に線引きできるものでもない。

目次

1.近代主体の成立

 1.1 ルネ・デカルト
 1.2 科学の発展が神の力を希薄にした
 1.3 科学が建築に与えたもの
 1.4 科学が主体性を奪う

2.近代主体の成立

 2.1 科学が人間主体に取って代わる
 2.2 哲学的考察
 2.3 シミュレーショニズム

3.主体崩壊後の可能性

 3.1 主体と表現の乖離
 3.2 建築専門誌の衰退
 3.3 他者の入り込む美学
 3.4 主体と他者の拮抗

《参考文献》

  1. 江藤淳、1993年(1978年初版)『成熟と喪失−母の崩壊−』、講談社文芸文庫
  2. 大塚英志、2004年、『「おたく」の精神史、1980年代論』、講談社現代新書
  3. 隈研吾、2004年『負ける建築』、岩波書店
  4. 谷川渥、1993年『美学の逆説』、勁草書房
  5. 橋本治、2002年、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』、ちくま新書
  6. 当津武彦、1988年、『美の変貌−西洋美学史への展望』、世界思想社
  7. 多木浩二、2000年、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、岩波書店
  8. 松岡正剛、1995年、『フラジャイル−弱さからの出発』、筑摩書房
  9. テリー・イーグルトン、1996年、『美のイデオロギー』、訳・鈴木聡、他、紀伊国屋書店
  10. 佐々木健一、1995年、『美学辞典』、東京大学出版会

第3回 視覚性

02ピエール・コーニック/CSH#22、
1960、ロサンゼルス、ジュリアン・
シュルマン撮影

篠原一男はよく美しいエレベーションが一つ無いとよい建築にはならないと言っていた。東工大100周年記念館の設計をしていた頃、「その建物はどこから写真を撮るのか?」とスタッフによく聞いていた。建築を社会化するためには、建築ジャーナリズムにおける写真の重要性を篠原は強く意識していた。それが住宅であればなおさらである。篠原に限らず、メディアを意識している建築家はル・コルビュジエをはじめとして数知れない。

しかし一方でいい写真がとれればいい建築か? という疑問も湧いてくる。つまり建築は静止した一点から美しく見えることではなく使う人の体験の中で、つまり動的な視線の中で現れるのではないか?という疑念である。しかしそうした体験的建築でもどこかにいい絵がないと人に伝わらないというジレンマもある。建築体験をうまく伝える視覚とは?

目次

1.写真的(photogenic)とは?

2.photogenic

 2.1 ル・コルビュジェ
 2.2 ジュリアス・シュルマン

3.anti-photogenic

 3.1 アドルフ・ロース
 3.2 ルネ・ブッリ
 3.3 anti-photogenicの見直し
 3.4 伊東豊雄
 3.5 坂本一成

4.近代的視覚の変容1 —完璧ではないという価値感

 4.1 プロヴォーグ
 4.2 ブレ・ボケ写真の一般への消費
 4.3 曖昧な境界 —建築写真において—
 4.4 曖昧な境界 —建築において—

5.近代的視覚の変容2 —近眼的長時間の視覚

6.近代的視覚の変容3 −データーベースモデル

 6.1 視覚の変容
 6.2 前近代モデル
 6.3 近代モデル
 6.4 ポストモダンモデル

7.実践としての写真

 7.1 デジタルカメラの普及・一般誌の隆盛
 7.2 プチ○○の登場
 7.3 実践される写真

《参考文献》

  1. ビアトリス・コロミーナ、1996、『マスメディアとしての近代建築 アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』、(松畑強 訳)、鹿島出版会
  2. 多木浩二、2001、『生きられた家 経験と象徴』、岩波現代文庫
  3. 坂本一成、2000、『閉鎖から開放,そして解放へ—空間の配列による建築論』、新建築社、新建築、2000年11月号:60-67
  4. 五十嵐太郎、2001、「メディアと建築—建築史の中の写真」、INAX出版、10+1、23号:117-132
  5. 福屋粧子、1998、「建築はどのように伝達されるか 制度としての建築写真」、彰国社、建築文化、1998年2月号:218-224
  6. 五十嵐太郎、2001、「メディア」、彰国社、建築文化2001年2月号:136-137
  7. 菊池誠、2006、『複製技術時代における「アウラ」 建築/メディア/写真』、建築写真 Architectural Photography:48−51
  8. 豊田啓介(聞き手)、2006、『Special Interview with Julius Shulman』、建築写真、Architectural Photography:38−47
  9. 「スペシャル・インタビュー:ジュリアス・シュルマン」、casaBRUTUS2000年summer、マガジンハウス
  10. セルジュ・ティスロン、2001(原著1996)、『明るい部屋の謎 写真と無意識』、青山勝、人文書院
  11. 京都造形芸術大学(編)、2003、『現代写真のリアリティ』、角川書店
  12. 東浩紀、2001、『動物化するポストモダン—オタクから見た日本社会』、講談社現代新書
  13. 青木淳、2000、『住宅論—12のダイアローグ』、INAX出版
  14. ロラン・バルト、1997、『明るい部屋—写真についての覚書—』、みすず書房

第2回 男女性

01白のパンタロンと上着を着たシャネルとリュシアン・ルロン
ヴェニス 1931
エドモンド・シャルル・ルー『シャネルの
生涯とその時代』
鎌倉書房1990より

社会に出て建築の設計を始めて数年すると、周りの人の描いている図面が気になり始める。一体自分の描いているものはなんぼのものだと思うようになる。そして先輩同輩の図面をしげしげと眺めると、それぞれにデザインの癖のようなものがあることに気付く。

そのなかでも曲線を使うか使わないかというあたりはひとつの分かれ目のように感じた。現在のようにcadが普及しているとさほど感じないが、手描きだったそのころは、曲線を使うのは図面技術の問題からも、数値をうまく整えていく上でもなかなか難しいことだった。だからそれができる人はデザインができる人のように言われた。そして曲線=優美という一つの美的価値を獲得していたように思う。

ライトが曲線を多用したジョンソンワックスビルを女性的と呼んだそうだが、優美が建築の価値となるのと女性の社会進出とは無関係ではない。それまでの男性社会では建築は男性的であることがよしとされていたのだから。

目次

1.西洋建築にみる男女性の系譜

 1.1 セルリオの二項対立に見る男女
 1.2 ウォットンのオーダー分析
 1.3 建築は男性性優位の産物だった(J=F・ブロンデル)
 1.4 女性性と言われる形容詞が評価されるようになったのは最近のこと

2.日本文化に見る男女性の系譜

 2.1 縄文・弥生
 2.2 松岡正剛、真壁智治、四方田犬彦の女性性評価軸

3.性がつくる建築(1)西洋編

 3.1 古代、中世
 3.2 近世、近代
 3.3 現代

4.性が作る建築(2)日本編

 4.1 戦前
 4.2 戦後

参考文献

  1. 藤岡通夫 1971 『近世の建築』 中央公論美術出版
  2. 平井聖 1980 『図説日本住宅の歴史』 学芸出版社
  3. 内田青蔵+大川三雄+藤谷陽悦 2001 『図説・近代日本住宅史』 鹿島出版会
  4. エイドリアン・フォティー 坂牛卓 辺見浩久監訳 2006 『言葉と建築』、鹿島出版会
  5. 松岡正剛 1995 『フラジャイル』 筑摩書房
  6. 四方田犬彦 2006 『かわいい論』 筑摩新書
  7. エドモンド・シャルル・ルー 秦 早穂子 1990 『シャネルの生涯とその時代』 鎌倉書房