なんとなくこんなことを考え始めるようになったのは建築の仕事を始めてから7〜8年たったころだと思う。それは、建物の外装材料を決める時のことである。工事中の現場で鉄骨が立ち上がったころに普通僕たちはおおよそ決めていた外装材料をベニヤ板に張って適当な高さのところに貼り付けてみるものである。色とつや、材種を確認するためだ。比較のために、色や、テクスチャ、などを変えて多いときは10種類くらいのパネル(サブロク版といいう3尺×6尺くらいの大きさだ)を貼り付けて見る。
当たり前だが、こんなことをするのには、結構手間も暇もかかる。ついでにお金もかかる。一生ものの特注品なのだから念には念を入れて作るのはあたりまえとしても、ここまで慎重を期して作るだけの効果が得られているのかというと、実は、そんな微妙な差を気にしているのは建築家だけ、もっと言えば、その差が分かるのは当のその建物を設計した建築家だけ。だから、これは恐ろしいほどの自慰行為と言えなくもない。
その時以来、建築の表面の質感の視覚像は、割りと単純な原理に支配されていると考えるようになった。
1:建築はつるつるしているか、ざらざらしているかその程度の差で認識される。
2:ただし建築は遠くから見るときと、近くから見るときがある。(もちろんその中間が限りなくあるがとりあえずモノサシの両側を考える)その両方でつるつるざらざらは感じられる。
3:近くから見ているとき表面の質感を決めるのはミリ単位の表面の肌理なのだが、遠くから見るとき、(例えば高層ビルを100メートル離れたところか見るとき)表面の質感みたいなものを決めるのはもはやミリ単位の話ではなく、数十センチ、或いは数メートルのでっこみへっこみである。
4:そういうものは近くから見ているときは質感ではなく、かたちと呼ぶ範疇に入っているのだが、遠くからみると質感と呼ぶ範疇に滑り込んでくる。これが建築の特殊性である。
5:近くから見たときの「つるつる・ざらざら」という指標と遠くから見たときの「のっぺり・でこぼこ」という指標のマトリックスのどこかに建築の質感像は分類される。
6:ちょっと乱暴だが、この四つの分節以上の分節化は視覚の閾値を越えていて、余り意味のない領域に入る可能性がある。
I インターナショナルスタイルの教えがのっぺりつるつるを作った
1)マスからヴォリュームへ
2)ル・コルビュジェのレンガ積の家
II それまでの建築はでこぼこざらざらだった
III 現在1:のっざら
1)のっざらマテリアル
2)アラベスク
3)うろこ
4)甲冑
5)配管
6)アルゴリズミックビューティー
7)絵画に見るのっざら
IV 現在2:でこつる
1)でこつるマテリアル
2)ねめり反射
3)鏡反射
4)とんがり
《参考文献》
[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。
- フィリップ・ジョンソン、ヘンリー=ラッセル・ヒッチコック(Philip Johnson, Henry-Russell Hitchcok)、1978(1932)『インターナショナル・スタイル』(武澤秀一訳)、鹿島出版会 [A]
● 四角く白い箱が何故生まれたか、その起源はここにある。 - ジャン・ヌーベル展カタログ(東京オペラシティアートギャラリー)、2003、サントリーミュージアム [C]
● ヨーロッパ的な質料感を充満させる建築家ヌーベルの手の込んだ展覧会のもっと手の込んだ作品集と言説。 - 多木浩二、2001「電子テクノロジー社会と建築」8月号/「日常性と世界性」9月号/「そこに風景があった」10月号/「ノイズレスワールド」11月号/「建築あるいは非建築」12月号、『ユリイカ』所収、青土社 [B]
● 多木浩二が伊東、坂本、山本、妹島らの最近作をかたる興味深い論考。 - 藤幡正樹、1999『アートとコンピューター』、慶応義塾大学出版会 [D]
● 藤幡正樹によるコンピューターアートの射程。 - 坂根巌夫、2003『拡張された次元ー科学と芸術の相克を超えて』、NTT出版 [D]
● コンピューターアートの存在意義を確かめる含蓄のある論考。 - リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)、1993(1986)『ブラインド・ウォッチメイカー』(日高敏隆監訳)、早川書房 [B]
● 『利己的な遺伝子』で有名なドーキンスの進化論の名著。 - 三嶋博之、2000『エコロジカルマインド』、NHKブックス [A]
● アフォーダンスを知るならまずこの本から。特に建築とのかかわりはこの本がわかりやすい。 - アロイス・リーグル(A. Riegl)、1970(1893)『美術様式論』、岩崎美術社 [A]
● ゼンパーの唯物論に対し、芸術意思を説く古典的名著。 - ケネス・クラーク(Kenneth M. Clark)、1988 (1973)『ロマン主義の反逆』、小学館 [C]
● 質料の噴出をロマン主義にみる。 - 谷川渥、1993『美学の逆説』、勁草書房(2003、ちくま学芸文庫) [A]
● 私が質料問題に関心を持つようになった個人的に(もちろん一般的にも)大事な本。 - 谷川渥、1995『見ることの逸楽』、白水社 [B]
● 質料的芸術家の分析。 - 谷川渥、2003『廃墟の美学』、集英社新書 [B]
● 形式の奥に秘められた質料を暴くもの、それが廃墟。 - ポール・ヴァレリー(P. Valery)、1923「エウパリノスまたは建築家」、1978『建築論』(森田慶一訳)所収、東海大学出版会 [B]
● 詩人を建築家として規定。「人間が作るものと自然が作るものとはどう違うのかという問い」(柄谷)。 - 佐々木敦、2001『テクノイズ・マテリアリズム』、青土社 [B]
● 音楽の中に質料を見る。 - 柄谷行人、1983 『隠喩としての建築』、講談社(1989、講談社学術文庫) [A]
● 論考「形式化の諸問題」に形式の限界が語られる。 - 東浩紀、2001『動物化するポストモダン』、講談社 [A]
● ポストモダン再考の書として最もアクチュアルな時代分析。 - アレクサンドル・コジェーヴ、1987(1947)『ヘーゲル読解入門』、国文社 [B]
● アフォーダンス始まり。建築的にも大変興味深い書。 - ギブソン(J. J. Gibson)、1985(1979)『生態学的視覚論』(古崎敬訳)、サイエンス社 [B]
● アフォーダンス始まり。建築的にも大変興味深い書。 - 岩城見一、2001『感性論−エステティックス』、昭和堂 [B]
● そもそもの美学であるところの感性の論。資料問題は感性論抜きには語れない。 - ヴォルフガング・ヴェルシュ(Wolfgang Welsch)、1998(1990)『感性の思考—美的リアリティの変容』(小林信之訳)、勁草書房 [B]
● 著者が言うように、美学がアクチュアルになれるとするならそれは感性的思考という部分においてであろう。
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