投稿者: Yusuke Sagawa
第6講 形式の規則 大きいと小さい – size
Tate Modern 2002,
photo John Riddy, London /
©Tate from Anish Kapoor
Marsyas Tate Publishing 2002
その昔「大きいことはいいことだ」というコピーの宣伝が流行った。チョコレートの宣伝だった。食べ物なら確かに同じ値段と味なら大きいほうが魅力的である。そして建築でもそういうことがあるのではないかと最初に思ったのはアメリカに留学中シカゴでシアーズタワー(当時世界一高いビル)を見たときである。110階建て443メートルの建物である。あまりの高さにどのくらい高いのかよく分からない。推し測れない未知性のようなものの中に人を魅了するものがあることを知った。ピラミッドは見たことがないけれどもし見たら同じような気持ちになるのだろうと思ったものである。しかしピラミッドは高さ146メートル、ゴシックの尖塔もだいたい150メートル以下で2000年近く人間の手で作る物の高さの限界値はこのあたりにあったようである。それがどうだろう、近代文明はあっという間にこの高さを凌駕してしまった。人間は突如巨大な物を作れるようになりそしてこの大きさに圧倒されている。そしてこの「大きさ」を「崇高」という概念で美的なものの一員にしたのがカントであることはその後知ることになる。
さてこうした大きさが我々を魅了するのと同時に小ささにも何かがある。言うまでもなく建築的には茶室やらロフトやらというものはそれぞれの使用目的からくる快適性もさることながら、その小ささの持つミクロコスモスに人は惹かれている。また「カワイイ」という既に外国語にさえなってしまった日本語の概念には小さい物を愛でる心理というものも入っているようである。
さて事ほど作用に大きい小さいは建築の一つの重要な性格である。そしてそのことが人間の精神にどのように作用していくのか?建築家の重要なテーマの一つである。
I 巨大性の系譜(モダニズム以前)
1) 墳墓 II 巨大性の系譜(モダニズム以後) III 崇高性 IV 摩天楼の高度性 1) 摩天楼の動機・技術・受容 Ⅴ 狭小性の意義
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第5講 形式の規則 箱と袋 – shape
第四講義からpart2である。Part2は形式の規則である。形式とは建築で言えば出来上がったもの。素材の集合。そこに現われるのは形状と大きさである。建築に近づくにはもっとも親しみやすい部分であろう。たとえば建築学科の学生が最初に扱うのはまずこの形。何故か?質料性は学生ではなかなか手に負えない。なぜなら教室の中にほんものが見当たらないからである。街に行けば転がっているが、教室には無い。更に大学における建築教育とは縮尺のある図面と模型によるヴァーチャルな世界の中で行われる。だから本当の質料は社会に出て一分の一を作るまでなかなか分からない。
一方関係性は比較的分かりやすいが内容がかなり高度で視覚的に即座に理解できるものではない。そうなると消去法的に残っているのは形式なのである。さてそこで本講は形式の第一として形状の話である。そこで今までと同様に対義語というスケールへの適合を考えるのだが、形状というあまりに巨大で無限な世界を対義語にまとめることが可能だろうか?最初はお手上げだったが肩の力を抜いてふっと昔図面を書いているときのことを思い出した。定規で簡単に描ける形がある一方でとても図面化できそうもないという形があったことを。そしてその間に決定的な差があると思った。それは設計する側にしても、作る人にとっても、そして見たときの印象は確実に全然違うはずである。
I 箱が生まれるまで
1)新古典の登場まで
a, 17c Italy
b, 17c Southern Netherlands
c, 17c England
d, 17c France
e, 18c France
2)ルドゥーからル・コルビュジェまで
−エミール・カウフマン 『ルドゥーからル・コルビュジェまで』
i. J-F Blondel 1705-1774
ii. M-A Laugier 1713-1769
iii. J-G Soufflot 1713-1780
iv. C-N Ledoux 1736-1806
v. J-N-L Dourand 1760-1835
vi. V-L Duc 1814-1879
vii. Le Corubusier 1887-1965
II コルの箱とロースの箱
III 箱が維持されるとき
−コールハースのミース再評価
妹島和世の箱
IV 箱が壊れる時
1)the function of the oblique
a, 斜めは身体に訴える
b, 斜めの教会
2)zoomorphics
a, IBM competition
b, Animal as symbol
c, Animal by function -statics
d, Animal by function -dynamics
e, Animal by accident
V 箱の中の袋 or 袋に入った箱
1)箱の中の袋
2)袋に入った箱 —奥山信一
《参考文献》
[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
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第3講 質料の規則 スケルトンとブラックボックス – transparency
ケネス・フランプトンの『TECTONIC CULTURE』という本がある。2年程前、ある大学院のゼミで半年かけて輪読した。毎回図書館に皆で行き、出てくる建築家の作品集から、ドローイングから漁りながら、久しぶりにモダニズム建築家の勉強をした。なかなか面白い本だったので、事務所で開いている月1の勉強会でも輪読した。二度ほど読んでみて、確かにフランプトンの信念のようなものが伝わってくるのだが、どうしても腑に落ちない部分がある。 何故テクトニックであることがいいことなのか、その一番大事といえば大事なそのポイントがどうしても腑に落ちなかったのである。 しかし、二度の輪読も終えて少したったあるとき、その昔、素材をテーマとした雑誌(GA素材空間)の企画で考えていたことがテクトニックにオーバーラップしてきた。 素材論で考えていたことの中には、技術哲学、大袈裟に言えば文明論のようなこともあった。現名古屋工業大学の学長である柳田博昭先生からはテクノデモクラシーということばで誰でも分かる技術の重要性を強くお教えいただいた。その中には、技術をブラックボックス化してはいけないという教えがあった。 建築にもその話は共有されることがありそうだ。ローテクと言われながらも建築は大学の工学部で教えられるものであり、いろいろな側面から、工学的な研究成果が導入され、建物の様々な部位にブラックボックス化して侵入してきているのである。壁の内側、天井裏で、床の下に、何が起こっているか?使っている人でそこを覗いたことがある人はいますか?そう、柳田の教えに従えば、そういうところを隠して何かおこっても誰も何も治せないのでは駄目だということなのである。 技術のスケルトン化があるべき技術の姿の一つであり、柳田の推奨するテクノデモクラティック建築である正倉院とフランプトンの主張するテクトニック建築がどこかで重なって見えてくるのである。 I スケルトンなこと 1)Mac II ブラックボックス化する建築 1)コンビニ建築 2)ディズニーランド建築 3)XL建築 III スケルトン派の系譜 1)ゼンパー 2)フランプトンによるテクトニクス 3)ケーススタディハウスの建築家 IV 未来の材料論 1)平明性 IV 造りの中に見えるもの 1)素材(場所) |
《参考文献》
[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
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第2講 質料の規則 白無垢と色内掛け – color
ことの発端は学生時代にル・コルビュジェのサボワ邸を見に行ったときである。うそみたいな話だが、あの白い箱(と思われている)が当時のポストモダンよろしく1階と3階が5〜6色のパステルカラーに塗られていたのである。いったいどういうことか謎だった。これがオリジナルの色だと言うフランス人もいた。それから15年くらい経ち、5〜6年前に訪れたときは外部は白く塗り替えられて写真で紹介されているサボア邸の色に戻っていた。
あの幻のパステルカラーのサボア邸の謎は解明できていない。ペンキだからどれが本当の話か分からない。ミースがワイゼンホーフに作った住宅も、もとの色はピンクだと書いている本もある。
建築を色まみれにすることに強い興味があるわけではない。ただ色が強い力を持っていることを否定する気にはなれない。世界中の建築に接するときに、色だから起こる強い感動は紛れもなくあるからだ。
じゃあ一体それは何に起因するのか、そしてそれは色がどういう形で現れたときに表現の強度を持ちうるのか。そこに興味は移っていったのである。
サボアに行った2年後、アメリカ留学中に、僕のとったスタジオの先生であるリカルド・リゴレッタというメキシコの建築家に連れられ、彼の作品とバラガンの作品を見にメキシコへ行った。彼らメキシコの建築家はメキシカンピンク、イエロー、パープルという独特の彩度の高い色を三原色のように使うのである。そしてメキシコの強い太陽の光のもとでこれらの色は単純に物体の色としてだけではなく、空間内に反射して、その空間の空気をその色にしてしまうのである。このあたかもコップの水に絵の具を垂らし、水の色を変えてしまうようなそんな色(カッツの言う面色)の現れ方に強く惹かれるようになった。そうした面色としての色をどうしたら再現できるのか、その後いくつかの自分のプロジェクトで試してみることになった。
I 白と言われてきたモダニズム
1)ル・コルビュジェの白 b, 白の時代 2)ホワイト派、グレー派 3)白と透明の器たち II コルビュジェには色が生きていた 1)ローカルカラーの時代の色 2)白の時代の色 3)極彩色の時代の色 4)壁紙デザイン III 同時代アートの色(ミニマリズムの色) IV 物体色から空間色へ —カッツの面色 V 白い色 —色は光 付録1 コールハースの色 |
《参考文献》
[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。
- 村田純一、2002『色彩の哲学』、岩波書店 [A]
● 色彩論の本ではこれが一番面白い。 - 小町谷朝生、1991『色彩と感性のポリフォニー』、勁草書房 [B]
● 題名の示す通り、色と感性の交感をテーマとした良書。 - 小町谷朝生、1987『色彩のアルケオロジー』、勁草書房 [B]
● 色と人間とのかかわりの諸現象を分析。 - 大山正、1994『色彩心理学入門』、中公新書 [B]
● 色彩学の通史としてもっとも分かりやすい入門書。 - ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)、1997(1977)『色彩について』(中村昇/瀬島貞則訳)、新書館 [B]
● 色の公理と格闘する書。 - ゲーテ(J. W. V. Goethe)、2001『色彩論』(木村直司訳)、ちくま書房 [B]
● 色彩論の古典。 - レイトナー(B. Leitner)、1989(1976)『ウィトゲンシュタインの建築』(磯崎新訳)、青土社 [B]
● ウィトゲンシュタインの論理同様に彼の建築の緻密さが現れる。 - フィリップ・ジョンソン、ヘンリー=ラッセル・ヒッチコック(Philip Johnson, Henry-Russell Hitchcok)、1978(1932)『インターナショナル・スタイル』(武澤秀一訳)、鹿島出版会 [B]
● 四角く白い箱が何故生まれたか、その起源はここにある。 - テオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg)、1993(1925)『新しい造形芸術の基礎概念 バウハウス叢書6 』 (宮島久雄訳)、中央公論美術出版 [B]
● バウハウス叢書はすべて当時のモダニズムの息吹が伝わる興味深い書。なかでもドゥースブルフはもっともラディカルなモダニストであり、その理論は力強い。 - Rem Koolhaas, Norman Foster, Alessandro Mendini, 2001 “Colours”, Birkhauser [C]
● 色はコールハースが語っても面白く(ロジカル)にはならないか? - 谷川渥/坂牛卓対談、2003 「建築の質料とモダニズム」、『芸術の宇宙誌 谷川渥対談集』所収、右文書院 [C]
● 美学の逆説以来、一貫して近代美術の質料的考察を行う谷川氏と坂牛の質料(色)をめぐる対談。 - Arthur Ruegg (ed.), 1997 “Le Corbusier Polychromie architecturale”, Birkhauser [D]
● 今まで明かされなかったコルビュジェの色についての考察と、コルのカラーキーボードの復刻版。 - 林美佐、1995 『色彩の鍵盤ール・コルビュジェの建築と色彩』、ギャルリー・タイセイ [D]
● コルの色彩に関する(私の知る限り)日本で最初のまとまった論考。 - 藤幡正樹、1997『カラー・アズ・ア・コンセプト —デジタル時代の色彩論』、美術出版社 [D]
● 色彩のデジタル分析手法の紹介。