第3回 視覚性

02ピエール・コーニック/CSH#22、
1960、ロサンゼルス、ジュリアン・
シュルマン撮影

篠原一男はよく美しいエレベーションが一つ無いとよい建築にはならないと言っていた。東工大100周年記念館の設計をしていた頃、「その建物はどこから写真を撮るのか?」とスタッフによく聞いていた。建築を社会化するためには、建築ジャーナリズムにおける写真の重要性を篠原は強く意識していた。それが住宅であればなおさらである。篠原に限らず、メディアを意識している建築家はル・コルビュジエをはじめとして数知れない。

しかし一方でいい写真がとれればいい建築か? という疑問も湧いてくる。つまり建築は静止した一点から美しく見えることではなく使う人の体験の中で、つまり動的な視線の中で現れるのではないか?という疑念である。しかしそうした体験的建築でもどこかにいい絵がないと人に伝わらないというジレンマもある。建築体験をうまく伝える視覚とは?

目次

1.視覚の時代としてのモダニズム

 絵画の場合/建築の場合

2.アンチ視覚

 グリーンバーグからクラウスへ/モダニズム建築の瓦解

 ル・コルビュジエ vs. アドルフ・ロース/篠原一男 vs. 伊東豊雄、坂本一成

3.生き延びた視覚

 三つの視覚/フェルメール的視覚

第2回 男女性

01白のパンタロンと上着を着たシャネルとリュシアン・ルロン
ヴェニス 1931
エドモンド・シャルル・ルー『シャネルの
生涯とその時代』
鎌倉書房1990より

社会に出て建築の設計を始めて数年すると、周りの人の描いている図面が気になり始める。一体自分の描いているものはなんぼのものだと思うようになる。そして先輩同輩の図面をしげしげと眺めると、それぞれにデザインの癖のようなものがあることに気付く。

そのなかでも曲線を使うか使わないかというあたりはひとつの分かれ目のように感じた。現在のようにcadが普及しているとさほど感じないが、手描きだったそのころは、曲線を使うのは図面技術の問題からも、数値をうまく整えていく上でもなかなか難しいことだった。だからそれができる人はデザインができる人のように言われた。そして曲線=優美という一つの美的価値を獲得していたように思う。

ライトが曲線を多用したジョンソンワックスビルを女性的と呼んだそうだが、優美が建築の価値となるのと女性の社会進出とは無関係ではない。それまでの男性社会では建築は男性的であることがよしとされていたのだから。

目次

1.性差と形象-西洋

 オーダー/男性優位

2.性差と形象-日本

 縄文/弥生/和歌/カワイイ

3.性差と使用-西洋

 古代/ルネサンス/近代

4.性差と使用-日本

 中性から近代へ/中性化する現代