第6回 倫理性

04イマニュエル・カント 肖像画  (wikimedia)

建築はそもそも造形芸術だった(今でも過去形にはしたくないが)。しかし20世紀にはいってコルビュジエが言うように建築は「機械」となってしまった。機械というものは人の利便のためにある。それは社会のためにならなければならない。その意味でそれは機械の倫理を背負わされた。近代建築のそうした倫理性について、建築芸術論者は反論をする。しかし21世紀にはいると、この倫理性は20世紀とは少し様子が違ってきている。

また倫理性を少し離れた建築本来の姿に戻ろうとする流れも見受けられる。

目次

1.建築外的思考批判

1.1 倫理とは
1.2 建築における倫理性

2. ポストモダニズム期の倫理

2.1 一般論
2.2 建築においては
2.3 倫理学と建築の接点

3.21世紀の倫理性

―エコロジー

4悪党性とは…

4.1 みかんぐみ
4.2 石上純也
4.3 藤本壮介
4.4 坂牛卓

《参考文献》

  1. 佐藤俊夫、1960、『倫理学』、東京大学出版界
  2. エイドリアン・フォーティー、2000、『言葉と建築』、鹿島出版会
  3. デヴィッド・ワトキン、1981、『モラリティと建築』、鹿島出版会
  4. ジュージ・マイアソン、2007、『エコロジーとポストモダンの終焉』、岩波書店
  5. 東京国立近代美術館、1986、『近代の見なおし、ポストモダンの建築1960-1986』、朝日新聞社
  6. 石山修武、1984、『「秋葉原」感覚で住宅を考える』、晶文社
  7. みかんぐみ、2007、『別冊みかんぐみ2』、エクスナレッジ
  8. 石上純也、建築ノートNo1「二つの森のプロジェクト」 誠文堂新光社
  9. 坂牛卓、新建築、2005、7月号「生産の場から再生の場へ」新建築社
  10. 藤本壮介、SDレビュー2004「アンケート、建築家たちのサスティナブル観」鹿島出版会
  11. 安藤忠雄×中村光男、新建築、2006、別冊8月号「環境が切り拓く都市」新建築社

第5回 他者性

03フラ・アンジェリコ、受胎告知、1437−46、サン・マルコ美術館(フィレンツェ)、wikimedia

コンテンポラリーダンスグループ、レニ・バッソの主宰者北島明子は自ら振り付けをする立場ながら、「割り当てられた位置に、決められたタイミングでいく」ということに違和感を感じると言う。それは振り付けの概念をそもそも否定しているようにも聞こえる。しかしここで彼女はコンタクト・インプロヴィゼーションという、ダンサー相互の位置関係で振り付けが変わるような方法を編み出した。

つまりダンサーの主体性で踊りを見せるのではなく一つの主体と他者との関係性を見せる振り付けを編み出したのである。建築にも似たようなところがある。建築家が自らの強い主体性を打ち出すことに違和感を感じる人が多い。あるいは創作とは常に主体性と他者性の表裏一体となった化合物なのかもしれない。しかし主体と他者はそう簡単に線引きできるものでもない。

目次

1.近代主体の成立

 1.1 ルネ・デカルト
 1.2 科学の発展が神の力を希薄にした
 1.3 科学が建築に与えたもの
 1.4 科学が主体性を奪う

2.近代主体の成立

 2.1 科学が人間主体に取って代わる
 2.2 哲学的考察
 2.3 シミュレーショニズム

3.主体崩壊後の可能性

 3.1 主体と表現の乖離
 3.2 建築専門誌の衰退
 3.3 他者の入り込む美学
 3.4 主体と他者の拮抗

《参考文献》

  1. 江藤淳、1993年(1978年初版)『成熟と喪失−母の崩壊−』、講談社文芸文庫
  2. 大塚英志、2004年、『「おたく」の精神史、1980年代論』、講談社現代新書
  3. 隈研吾、2004年『負ける建築』、岩波書店
  4. 谷川渥、1993年『美学の逆説』、勁草書房
  5. 橋本治、2002年、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』、ちくま新書
  6. 当津武彦、1988年、『美の変貌−西洋美学史への展望』、世界思想社
  7. 多木浩二、2000年、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、岩波書店
  8. 松岡正剛、1995年、『フラジャイル−弱さからの出発』、筑摩書房
  9. テリー・イーグルトン、1996年、『美のイデオロギー』、訳・鈴木聡、他、紀伊国屋書店
  10. 佐々木健一、1995年、『美学辞典』、東京大学出版会

第3回 視覚性

02ピエール・コーニック/CSH#22、
1960、ロサンゼルス、ジュリアン・
シュルマン撮影

篠原一男はよく美しいエレベーションが一つ無いとよい建築にはならないと言っていた。東工大100周年記念館の設計をしていた頃、「その建物はどこから写真を撮るのか?」とスタッフによく聞いていた。建築を社会化するためには、建築ジャーナリズムにおける写真の重要性を篠原は強く意識していた。それが住宅であればなおさらである。篠原に限らず、メディアを意識している建築家はル・コルビュジエをはじめとして数知れない。

しかし一方でいい写真がとれればいい建築か? という疑問も湧いてくる。つまり建築は静止した一点から美しく見えることではなく使う人の体験の中で、つまり動的な視線の中で現れるのではないか?という疑念である。しかしそうした体験的建築でもどこかにいい絵がないと人に伝わらないというジレンマもある。建築体験をうまく伝える視覚とは?

目次

1.写真的(photogenic)とは?

2.photogenic

 2.1 ル・コルビュジェ
 2.2 ジュリアス・シュルマン

3.anti-photogenic

 3.1 アドルフ・ロース
 3.2 ルネ・ブッリ
 3.3 anti-photogenicの見直し
 3.4 伊東豊雄
 3.5 坂本一成

4.近代的視覚の変容1 —完璧ではないという価値感

 4.1 プロヴォーグ
 4.2 ブレ・ボケ写真の一般への消費
 4.3 曖昧な境界 —建築写真において—
 4.4 曖昧な境界 —建築において—

5.近代的視覚の変容2 —近眼的長時間の視覚

6.近代的視覚の変容3 −データーベースモデル

 6.1 視覚の変容
 6.2 前近代モデル
 6.3 近代モデル
 6.4 ポストモダンモデル

7.実践としての写真

 7.1 デジタルカメラの普及・一般誌の隆盛
 7.2 プチ○○の登場
 7.3 実践される写真

《参考文献》

  1. ビアトリス・コロミーナ、1996、『マスメディアとしての近代建築 アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』、(松畑強 訳)、鹿島出版会
  2. 多木浩二、2001、『生きられた家 経験と象徴』、岩波現代文庫
  3. 坂本一成、2000、『閉鎖から開放,そして解放へ—空間の配列による建築論』、新建築社、新建築、2000年11月号:60-67
  4. 五十嵐太郎、2001、「メディアと建築—建築史の中の写真」、INAX出版、10+1、23号:117-132
  5. 福屋粧子、1998、「建築はどのように伝達されるか 制度としての建築写真」、彰国社、建築文化、1998年2月号:218-224
  6. 五十嵐太郎、2001、「メディア」、彰国社、建築文化2001年2月号:136-137
  7. 菊池誠、2006、『複製技術時代における「アウラ」 建築/メディア/写真』、建築写真 Architectural Photography:48−51
  8. 豊田啓介(聞き手)、2006、『Special Interview with Julius Shulman』、建築写真、Architectural Photography:38−47
  9. 「スペシャル・インタビュー:ジュリアス・シュルマン」、casaBRUTUS2000年summer、マガジンハウス
  10. セルジュ・ティスロン、2001(原著1996)、『明るい部屋の謎 写真と無意識』、青山勝、人文書院
  11. 京都造形芸術大学(編)、2003、『現代写真のリアリティ』、角川書店
  12. 東浩紀、2001、『動物化するポストモダン—オタクから見た日本社会』、講談社現代新書
  13. 青木淳、2000、『住宅論—12のダイアローグ』、INAX出版
  14. ロラン・バルト、1997、『明るい部屋—写真についての覚書—』、みすず書房

第2回 男女性

01白のパンタロンと上着を着たシャネルとリュシアン・ルロン
ヴェニス 1931
エドモンド・シャルル・ルー『シャネルの
生涯とその時代』
鎌倉書房1990より

社会に出て建築の設計を始めて数年すると、周りの人の描いている図面が気になり始める。一体自分の描いているものはなんぼのものだと思うようになる。そして先輩同輩の図面をしげしげと眺めると、それぞれにデザインの癖のようなものがあることに気付く。

そのなかでも曲線を使うか使わないかというあたりはひとつの分かれ目のように感じた。現在のようにcadが普及しているとさほど感じないが、手描きだったそのころは、曲線を使うのは図面技術の問題からも、数値をうまく整えていく上でもなかなか難しいことだった。だからそれができる人はデザインができる人のように言われた。そして曲線=優美という一つの美的価値を獲得していたように思う。

ライトが曲線を多用したジョンソンワックスビルを女性的と呼んだそうだが、優美が建築の価値となるのと女性の社会進出とは無関係ではない。それまでの男性社会では建築は男性的であることがよしとされていたのだから。

目次

1.西洋建築にみる男女性の系譜

 1.1 セルリオの二項対立に見る男女
 1.2 ウォットンのオーダー分析
 1.3 建築は男性性優位の産物だった(J=F・ブロンデル)
 1.4 女性性と言われる形容詞が評価されるようになったのは最近のこと

2.日本文化に見る男女性の系譜

 2.1 縄文・弥生
 2.2 松岡正剛、真壁智治、四方田犬彦の女性性評価軸

3.性がつくる建築(1)西洋編

 3.1 古代、中世
 3.2 近世、近代
 3.3 現代

4.性が作る建築(2)日本編

 4.1 戦前
 4.2 戦後

参考文献

  1. 藤岡通夫 1971 『近世の建築』 中央公論美術出版
  2. 平井聖 1980 『図説日本住宅の歴史』 学芸出版社
  3. 内田青蔵+大川三雄+藤谷陽悦 2001 『図説・近代日本住宅史』 鹿島出版会
  4. エイドリアン・フォティー 坂牛卓 辺見浩久監訳 2006 『言葉と建築』、鹿島出版会
  5. 松岡正剛 1995 『フラジャイル』 筑摩書房
  6. 四方田犬彦 2006 『かわいい論』 筑摩新書
  7. エドモンド・シャルル・ルー 秦 早穂子 1990 『シャネルの生涯とその時代』 鎌倉書房

付2 建築はしゃべるか – meaning

奈良原一高
トラピスト

ジャンヌーベルがTNプローブで篠原一男と対談した時、篠原はヌーベルの劇場壁面を見ながら装飾だと言って称揚した。今年の1月の新建築で伊東豊雄は装飾の力を強調した。二人の建築家が言う装飾とは何か?広辞苑では「美しくよそおいかざること。また、そのかざり、よそおい。かざりつけ。」であるが、二人の建築家の指すものはもう少し限定された意味である。

建築の世界で装飾というとき最初に無意識に引用されている文脈はアドルフ・ロースの『装飾と犯罪』である。そしてそれは当然のことながらネガティヴなことばなのである。またそれはモダニズムの本質の一つである抽象という概念の対立軸の逆側におかれたものとして語られる。その時この言葉には具象という意味合いが色濃く付着してくるのである。

つまり、ある部分を捨て、エッセンスだけを表そうとする態度に代わり、捨てることなく、全体を像を具えて表そうという態度が抽象の対語としての具象である。それはもう少し建築に引き寄せて語るなら、モダニズム期に抽象と言って捨象した様々なものをもう一度具えることに他ならない。

しかし注意すべきはそうした試みは建築のポストモダニズム期に(モダニズム期に捨象された)物語の復活として歴史様式を付加した建築が沢山作られるかたちで行われ、結局何も語りえず終わったと言う事実である。

当然ここで彼らが具えるべきとしている像はこうした失われた物語としての歴史様式ではなくもっと人間に本質的な像なのだと思う。そうした新たな像が人々に何かを語るということが今可能性を持ち始めているのである。その語る内容とは何か?そしてその語り口とは?

I 建築は意味を伝えるか

1)ビルディングタイプの誕生
a, 前近代
b, 近代

2)モダニズム以降の意味論の系譜
a, ジェンクス
b, ヴェンチューリ
c, 井上充夫

II 装飾は犯罪である

III いわゆるポストモダン建築
—石井和紘の場合

IV 象徴へ
—篠原一男に見る

V 象徴からの逃走

1)坂本のずれ
2)伊東のエフェメラル
3)浮遊する形

VI あるいは抽象から具象へ

1)装飾性
2)川内倫子の抽象化された生

《参考文献》

[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。

  1. 坂本一成・多木浩二、1996『対話、建築の思考』、住まいの図書館出版局 [A]
    ● 難解な坂本建築を多木氏が明快に解きほぐす。
  2. 篠原一男、1970『続住宅論』、鹿島出版会 [B]
    ● 篠原建築のエッセンス。
  3. チャールズ・ジェンクス(Charles Jencks)、1978(1978)「ポストモダニズムの建築言語」 『a+u』 1978年10月臨時増刊号、エーアンドユー [B]
    ● ポストモダニズムという言葉を定着させた、記念すべき書。
  4. ロバート・ヴェンチューリ(Robert Venturri)、1972(1978)『ラスベガス』(伊藤公文他訳)、鹿島出版会 [A]
    ● いわゆるポストモダニズムの理論的火付け役となった古典的名著。
  5. Nikolaus Pevsner, 1976 “A History of Building Types”, The National Gallery of Art [A]
    ● ビルディングタイプを扱った古典的名著。
  6. 五十嵐太郎+大川信行、2002 『ビルディングタイプの解剖学』、王国社 [B]
    ● 上記名著に対抗して登場。
  7. 井上充夫、1991『建築美論のあゆみ』、鹿島出版会 [B]
    ● 日本人による建築美学の概説書として分かりやすい。
  8. エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky)、2002(1962)『イコノロジー研究 上・下』(浅野徹他訳)、ちくま学芸文庫 [B]
    ● パノフスキーの代表的著作。
  9. 小田部胤久、1995 『象徴の美学』 東京大学出版会 [C]
    ● ドイツ観念論における、象徴概念の推移が緻密な読みで遡行される。

付1 先天的と後天的 – intention


DNA

僕の友人は、とある大きな新聞の週末版を作っている。その週末版では、毎号1面、2面を「時の人」のために特集する。ある週、隈研吾という話題の建築家の紙面を作り、次の週に、イデーというインテリア会社の黒崎社長の特集を組んだ。隈研吾は表参道にファッションビルを作ったと言って、黒崎は古くなったビルを住宅に変えるプロジェクトを進行中ということで時の人となった。

友人曰く、両方とも時の人だけど、時代は黒崎だよと言う。黒崎が、このコンヴァージョンプロジェクトを打ち上げた時、手弁当で参加したいという学生が山のように集まったと友人はあたかも見てきたかのごとく僕に告げるのである。学生が集まるのは、新しい何かを創り出すより、古くなった何かをカスタマイズすることの方がおしゃれであるというファッションセンスに繋がるところがあるようだ。

しかし時代が黒崎であろうとも僕らは建築家で、産み落とす職業である。そんな職能を前提としていること自体を古臭いとは少し思うけれど、産み落とす人はなくならないというのも一方の真理であろう。しかし、この産み落とすというところが曲者で僕らは何を願ってこの子らを産み落とそうというのであろうか?

人はDNAと言う設計図を親からもらうと言われているけれど、この設計図がその後の自分をどこまで方向づけているのかは正確にはわからない。人は社会に順応してオトナになるというのだから、この設計図はどこかで順応という書き換え(或いは修正)を施さざるを得ない。一方建築とはどんなものだろうか?時代のニーズの変化の早い現代では、産み落とされた時点のリクエストと20年後では明らかに異なると思われる。順応という設計図の書き換えがやはりいるのだと思う。

そうした書き換えこそがオトナへの成長であり人間なら一回り大きくなったと言ってポジティヴに考えられるわけだ。建築もそうした書き換えが年輪を重ねるという如くその建物の厚みを増していくようなことになるのだろうか。そんな書き換えられることを前提とした設計図を僕らは書けるのだろうか?

I 計画の不可能性と可能性

1)後天的1(先天不可) passive uncontrollability —S.M.L.XLのニヒリズム
a, 巨大さから生じるuncontrolability —中野ブロードウェイの場合
b, 大きくなるとナカミが分からなくなるか近代編

2)後天的2(計画的後天) positive uncontrollability —メタボリズムの限界
a, 菊竹清訓のスカイハウス
b, 菊竹清訓のタワー
c, 黒川のカプセル

3)後天的3(フレキシビリティ)

II 建築という種子(後天的4)

1)オフィス2003年問題
2)変化を刻み込む建築
3)刻まれたものの正体

III コントロールできないことをコントロールしないという計画(後天的5)

《参考文献》

[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。

  1. ムスタファヴィ/レザボロー (M. Mostafavi / D. Leatherbarrow)、1999(1993)『時間の中の建築』(黒石いずみ訳)、鹿島出版会 [B]
    ● ウェザリング(風化)という概念で建築を切り取る、日本にはあまり見られない興味深い視点。
  2. Rem Koolhaas, 1991 “S, M, L, XL”, 010Publishers [C]
    ● モダニズム建築の量の表現力(非表現力)を扱った最初(で最後)の書。
  3. レム・コールハース(Rem Koolhaas)、1999(1994)『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳)、ちくま学芸文庫 [B]
    ● コールハースの理論家としての第一歩であり、建築以外にも大きな影響を与えた一冊であろう。
  4. 八束はじめ+吉松秀樹、1997 『メタボリズム』、INAX出版 [B]
    ● メタボリズムという日本だけに発生した建築運動の最近のまとめ本。
  5. Nikolaus Pevsner, 1976 “A History of Building Types”, The National Gallery of Art [B]
    ● ビルディングタイプを扱った古典的名著。
  6. 五十嵐太郎+大川信行、2002 『ビルディングタイプの解剖学』、王国社 [B]
    ● 上記名著に対抗して登場。
  7. 大倉三郎、1957『ゴッドフリード・ゼンパーの建築論的研究』、中央公論美術出版 [C]
    ● ちょっと高いので図書館で眺めてください。でもゼンパーの研究書は世の中に殆どありません。そもそもゼンパーの書は翻訳本がありません。リーグルの批判はあるものの、建築的には彼の唯物論は半分は正しい。
  8. 椹木野衣、2001『増補シミュレーショニズム』、ちくま学芸文庫 [A]
    ● カスタマイズもリミックスもサンプリングも現代的な肩の力を抜いたスタンスです。
  9. エドマンド・バーグ(Edmund Burke)、1757(1999) 『崇高と美の観念の起源』(中野好之訳)、みすず書房 [A]
    ● モダニズム建築において崇高概念はビッグネスと共に不可欠。

第10講 関係の規則 きのこと宇宙船 – site

近代は工学が発明された時代である。工学とはengineeringであり、もとをただせば、それはengine、つまり力を動きに変換する装置、平たく言えば乗り物の学であった。船舶、機械(自動車)、そしてその粋は宇宙船である。

しかし、動かないけれど、人間を包む乗り物(容器)としてどういうわけか日本では建築もこの工学の仲間に入れられてしまった。技術の粋としての願いがこめられたのである。しかし、建築は宇宙船にはなれないのである。地球を代表し宇宙に飛び出る宇宙船は地球技術の最先端を際限ない予算を背景に開発される。一方建築は先ずは何十億という人間の住む場、政治の場、経済の場として単なる技術の産物とはなりえないのである。

しかし、そんな状態に業を煮やす技術者が登場するのは当然と言えば当然だ。何故建築が、そんなローテクなわけ?戦後アメリカで突如不要になった軍需産業をもてあました行政の困惑と、技術指向の建築家の夢がアメリカンプラグマティズムに後押しされて次代の建築へ向けて合体した。フラー宇宙船建築の登場だった。技術の粋を集めたテクノ建築プロトタイプの登場である。

さて話は十数年の後日本に移る。民家研究をしていた篠原一男は「民家はきのこ」という有名はアフォリズムを発するとともに建築は敷地から、クライアントから、その他の様々な条件から自由であるべきだと語り、建築を芸術化した。篠原の目指したことは、アート建築プロトタイプの作成だった。

前者は技術を指向する意味でモダニズムであり、後者は建築を諸条件から切断しアート化するわけでその意味では近代合理主義に真っ向から離反する反モダニズムである。しかしその双方が建築の座るその「場」を条件として組み込む姿勢を見せないという意味で共通するところがあった。

これに対し、こうした敷地から切れた建築への反省が、コンテクスチャリズム、リージョナリズム、クリティカルリージョナリズム、という形で建築を思考するツールとになってきた。

建築は建築の外の世界とどうつながるジェスチャーを示せるのか、建築に問われている大きな問題なのだが、それは、外の世界の何とつながるのか、周辺の問題とは何なのかというテーマの選択へと話がずれ込んでいくのである。

I 宇宙船建築の系譜

1)グローバルアーキテクチャー
2)バックミンスターフラーの宇宙船 —どこでも誰でも簡単に作れる建築
3)篠原一男の敷地からも自由な建築

II 所謂きのこ建築

1)建築家なしの建築
2)民家というきのこ
3)regionalであること —復習 批判的地域主義
a, 批判的地域主義者
b, 批判的地位主義への批判
c, ダーティーリアリズム

III 宇宙から飛来したきのこを目指して
—建築を敷地に繋ぎ止めるもの
—外的要因によるアルゴリズム

1)法律  ガエハウス
2)時間  ルイジアナ美術館
3)構築性
a, case study house #22
b, Eames house
c, FREY HOUSE

《参考文献》

[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。

  1. バーナード・ルドフスキー(Bernard Rudofsky)、1984(1964)『建築家なしの建築』(渡辺武信訳)、鹿島出版会 [B]
    ● ヴァナキュラー建築に見られるグッドデザインの観察。
  2. ケネス・フランプトン(Kenneth Frampton)、1987(1983)「批判的地域主義に向けて—抵抗の建築に関する六つの考察」、ハル・フォスター編(ed. Hal Foster)、『反美学』(室井尚他訳)所収、勁草書房 [B]
    ● ツォニス、ルフェーヴルを受けて批判的地域主義を世に定着させた有名な論考。
  3. ノルベルグ・シュルツ(Christian Norberg-Schultz)、1973(1971)『実存・空間・建築』(加藤邦男訳)、鹿島出版会 [B]
    ● ヨーロッパにおける現象学的建築論の古典。
  4. マルチン・ハイデガー(Martin Heidegger)、1958『建てること、住むこと、考えること』(井上亮訳)、出版未定 [D]
    ● 建築現象学には必ずや参照される名論文。
  5. アレグザンダー・ツォニス/リアーヌ・ルフェーヴル(Alexander Tzonis / Liane Lefaivre)、1990『a+u9005』(中村敏男訳)、ダイヤモンド社 [D]
    ● 批判的地域主義初出後10年たち再考された論文。
  6. 八束はじめ、1998「インターナショナリズム vs リージョナリズム」、『20世紀の建築』所収、デルファイ研究所 [B]
    ● グローバリズムとリージョナリズムという昨今はやりの論調で建築を切り、批判的地域主義を批判する。
  7. 五十嵐太郎、1999「批判的地域主義再考」、『10+1』18号所収、INAX出版 [C]
    ● 批判的地域主義の系譜。
  8. 篠原一男、1950『住宅論』、鹿島出版会 [B]
    ● 篠原建築のエッセンス、あまりに美しい言説の数々。
  9. フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)、1998(1994) 『時間の種子』(松浦俊輔+小野木明恵訳)、青土社[B]
    ● 後期資本主義のポストモダン分析。
  10. A.Tzonis / L. Lefaivre, ‘introduction Between Utopia and Reality: Eight Tendencies in Architecture Since 1968’, “Architecture in Europe memory and invention since 1992”, Thames and Hudson [B]
    ● 8個に分類した現代建築の傾向。その中では、圧倒的にダーティーリアリズムが面白いのだが、、、、、これが本当に未来だろうか?

第9講 関係の規則 親父とお袋 – capacity

Robert Frank “Hotel Lobby –
Miami Beach”
The Americans

僕の先生である篠原一男の住宅を故宮脇壇は「パジャマでは歩けない住宅」と表し、篠原の逆鱗に触れた。篠原の住宅は「芸術」であり、その空間にはその空間にしつらえられているもの意外の混入は許されない”exclusive”なものだった。「そんなの住宅じゃないでしょう」という捕らえ方もあろうかと思うし、「そんなところで生活できるの?」という疑問もあろうかと思うけれど、実際に篠原の住宅に行ってみると住人はきれいに、そしてきちんと「生活」しているのが分かる。それになにより確かに、この研ぎ澄まされた空間に邪魔なものはおきたくないという気になる。それほどその空間は美しいからだ。

さてこの美しさに今をときめく伊東豊雄や坂本一成は一時しびれていた。だから、彼らは師匠を超えるために様々な作戦を立てたが、やはり初期の作品はこうした”exclusive”な空間に引き寄せられていた。中野本町の家など僕は高校時代に今は廃刊となった「都市住宅」で見て、「これは果たして建築か?」と思いつつもその美しさに声が出なかった。本物を見せてもらった時はとにかく感動した。「これぞ建築だ」と思ったものだ。

さてしかし、そもそもこうした”exclusive”で頑固な建築、言ってみれば親父的な建築を作ることは彼ら若い(?)世代の建築家の本意ではなかったし、なんとかこの魔の美しさから逃れようとしたのである。僕は伊東豊雄のシルバーハットができたての頃、氏とお話をする機会があったが、「こんな格好悪いもの作っちゃった」と嘆いていたのを今でも鮮明に覚えている。規律正しく、厳格な親父建築から逃れ、しなやかで、やさしく、軽やかなオフクロ的建築をまだその頃の伊東は頭で作っていたということだ。

オフクロ建築とは、では、格好悪いのか? 格好悪いというより、どこにあるの、それ?という感じがオフクロ建築の妙だ。それこそ、一昔前のオフクロとは、親父の3歩後ろを空気のように寄り添って歩いていたのである。そうしたオフクロみたいな空気みたいな建築が本当にできたら、そんな建築はちょっと怖い。

I 親父建築の起源

II 元祖親父建築
−ミース・ファン・デル・ローエの均斉

III 親父建築は美しい
−篠原一男と形式性
a, 上原曲道の家
b, 白の家
c, 谷川さんの住宅
d, 篠さんの家

IV 親父建築2
−内向きな男建築

1)坂本一成の閉じた箱
a, 水無瀬の町家
b, 雲野流山の家
c, 計画 N

2)伊東豊雄の閉ざされた内部
−中野本町の家

V オフクロへの転進
−しなやかで包み込む建築

1)坂本一成の解放
a, project k
b, House SA
c, Hut T

2)伊東豊雄の風の変容体
a, シルバーハット

3)ミース・ファン・デル・ローエの均等
a, Crown Hall IIT

VI オフクロの行く末(強いオフクロ像)

1)ダーティーリアリズム

2)構造力

《参考文献》

[A]…講義の理解を深めるために是非一読を(入手も容易)。
[B]…講義の内容を発展的に拡張して理解したい人向け。
[C]…やや専門的だが、面白い本。
[D]…やや専門的かつ入手困難だが、それだけに興味のある方は是非。

  1. 八束はじめ、2001 『ミースという神話』、彰国社 [B]
    ● コルビュジェに続く八束氏のモダニズム建築家モノグラフ。斬新な読み取りはコルビュジェ論に変わらず興味深い。
  2. Rem Koolhaas, 1991 “S, M, L, XL”, 010Publishers [B]
    ● モダニズム建築の量の表現力(非表現力)を扱った最初(で最後)の書。
  3. バーナード・ルドフスキー(Bernard Rudofsky)、1984(1964)『建築家なしの建築』(渡辺武信訳)、鹿島出版会 [B]
    ● ヴァナキュラー建築に見られるグッドデザインの観察。
  4. 多木浩二、1976『生きられた家 —経験と象徴』、青土社 [A]
    ● 現象学を用いた建築論の日本における古典。この書が当時の若き建築家たちを導いたと言って過言ではない。
  5. ノルベルグ・シュルツ(Christian Norberg-Schultz)、1973(1971)『実存・空間・建築』(加藤邦男訳)、鹿島出版会 [B]
    ● ヨーロッパにおける現象学的建築論の古典。
  6. ハンス・ゼードルマイヤー(Hans Sedlmayr)、1965(1948)『中心の喪失—危機に立つ近代芸術』、美術出版社 [C]
    ● リオタール風に言えば大きな物語の喪失。
  7. 坂本一成・多木浩二、1996『対話、建築の思考』、住まいの図書館出版局 [A]
    ● 難解な坂本建築を多木氏が明快に解きほぐす。
  8. 八束はじめ、1985『批評としての建築』、彰国社 [B]
    ● 建築の自律性をうたう八束氏の厳しい論考。
  9. 難波和彦、1999 「建築の批評性とは何か」、『建築の書物/都市の書物』 五十嵐太郎編所収、INAX出版 [C]
    ● 上記八束論考への批判的考察。
  10. P.Eisenan M.Graves C.Gwathmey J.Hejduk R.Meier, 1975 five architects , Oxford Univ. Pr. [C]
    ● アメリカポストモダンの起源ともいえる、ホワイト対グレーの対立軸を生み出した作品集。
  11. フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)、1998(1994)『時間の種子』(松浦俊輔+小野木明恵訳)、青土社 [B]
    ● 後期資本主義のポストモダン分析。
  12. 篠原一男、1964『住宅建築』、紀伊國屋書店 [A]
    ● 前衛にふさわしいエネルギーに満ちた言葉。
  13. 篠原一男、1996『篠原一男』、TOTO出版 [B]
    ● 巨匠篠原の集大成。
  14. 伊東豊雄、1989『風の変様体』、青土社 [A]
    ● 伊東豊雄 70〜80年代の言説。
  15. 伊東豊雄、2000『透層する建築』、青土社 [B]
    ● 伊東豊雄 1988年から2000年までの言説。