第11講 空間 Space

一八九〇年代以前に、用語としての「空間」は、単に建築上の語彙としては存在していなかった。空間という用語が適用されることは、モダニズムの発展と親密に結びついている。よってそれが何を意味していようとも、まさにモダニズム特有の歴史的な状況と関係があり、「空間」のパートナーである「形態」と「デザイン」にも同様の事情がある。

1、建築用語哲学用語

1.1精神の属性としての空間 

「空間」は、私たちが世界を知覚するための精神の属性という装置の一部でもある。

1.2        建築のカテゴリーとしての空間

ドイツで生まれた言葉、空間という意味のドイツ語の「Raum」は、物理的に囲まれているものである部屋と、哲学的な概念とを同時に指し示す

2、モダニズム建築における空間の前提1

 2.1 Semper, G

ゼンパーは建築にとっての最初の衝動は空間を囲むことにあると提案した。物質的な構成要素というのは、空間を囲むことにとって副次的でしかなく、よって「壁は、そのように囲われた空間を明示的に具現化し、視覚化する建築要素である。」(『様式』1863、p.254)囲うことが物質よりも優位にあるというこの言及でも、他の言及の中でも、建築の将来は空間を創造することにあるとゼンパーは提案した。

二十世紀初めの十年において、建築の主題としての「空間」を初めに打ち出したドイツ語圏の初期近代の建築家たちにとって、ゼンパーが彼らの空間という概念の源であることに疑問の余地はなかった。

2.2 Loos, A, 1898「被覆の原則」

「建築家の一般的な仕事は暖かで生活しやすい空間を提供することである」とゼンパー的な用語で主張をし、さらに続けて、「空間の素材と形態の双方から効果が生み出される」と述べていることがわかる。

2.3 Berlage, H.P. 1905「様式についての考察」

「建築は空間を囲う術であるので、私たちは空間の建築構築上の性質を構造上の意味と装飾の意味の双方において強調しなければならない。この理由から、建物は第一に外側から考えられるべきではない」、

これら全ての建家が一九二〇年代のモダニズムの世代に深く影響を及ぼしており、彼らによる空間の定式化の重要性は、ゼンパーのモデルに従いつつ、空間を_囲うこと_の問題として見たということにある。

2.4 Sitte, C 1889『芸術原理による都市計画』

ジッテは都市デザインを「空間の芸術」(Raumkunst)として考えたのであり、彼の都市計画への方針は囲まれた空間を創り出すという原理にすべて基づいている。他の建築家たちが空間を囲うことを純粋に室内の見地でしか捉えていなかったのに対し、ジッテは巧みにも、この建築のテーマを戸外の空間に解釈し直した。「空間」が建物の内部のみならず戸外に帰属していたというこの洞察が、一九二〇年代には大変重要になった。

3、モダニズム建築における空間の前提2

3.1  Kant, I

をカントによれば、空間は心の属性であり、装置の一部なのであって、それによって心は世界を認識可能にする。カントは『純粋理性批判』(1781)のなかで、彼にとって空間が何を意味するのか略述した。彼が書いているところによれば、「空間は外的な経験に由来する経験的な概念ではない」(p.68)。「空間は事物それ自体の属性を表すことはなく、事物の互いの関係性を表すこともない」(p.71)。その代わりに、「空間は純粋な本性として先験的に心に存在し、そこではすべての客体が決定されている」のであり、さらに「空間はすべての経験以前に、これらの客体の関係を決定する原理を含んでいる。心的能力としての空間が美的判断のために機能する可能性はカントによっては展開されなかった。

3.2 Schopenhauer, A 1818『意志と表象としての世界』

「建築は第一に、我々の空間感覚のなかに存在し、よって空間感覚に対する我々の先験的な能力に訴えるのである。」(vol.3,p.187)と言っている。しかしこの空間感覚は、一面的な見方でしかなく、一八七〇年代になって感情移入の理論が発展してはじめて、空間感覚からどんなものでも作られることになった

 感情移入の理論に立ち返ると、一八九三年に三つの注目に値する──しかもそれぞれが独立して見える──論文がほとんど同時に発表されるまで、ショーペンハウアーの言及によって提示された可能性は、まだ議論されないままであった。

3.3 Hildebrand, A  1893 『造形芸術における形の問題』

ヒルデブラントは建築の理解において友人であるコンラード・フィードラーに影響されており、そのフィードラーはゼンパーを読んだことで、ゼンパーが建築の根源的な衝動と定めた、囲われた空間それ自体が建築における思考の第一の対象であるという示唆を得た

ヒルデブラントは、形態の明確な観念に到達するときに、空間における両目と身体の両方の動きを強調した。視覚芸術の役割とは、一つのイメージにおいて、客体が存在している自然の空間と客体の形態を明らかにする、見る主体の動きとを再構成することである。ヒルデブラントが形態を理解する前提として空間を強調したことは、それを記述する仕方と同様に独創的であった。

ある空間連続体〔spatial continuum〕によって、私たちは空間を三次元の広がりとしてだけでなく、私たちの想像における三次元の可動性もしくは筋感覚の動きとして捉える。このもっとも本質的な属性は連続性である。それでは空間連続体を水のかたまりであると想像してみよう。それによって水中に容器を沈めることができ、それによって水中の一つの連続したかたまりとしての全体の概念を失うことなしに、明確に形成された個々のかたまりとしてそれぞれのヴォリュームを規定することができる。

もし私たちがこの自然の空間の外形を全体として視覚化する仕事に取り組んだとしたら、その時私たちは、その空間を、三次元的に、ある部分は個々の対象のヴォリュームで、そしてある部分は空気で占められたヴォイドとして想像しなければならない。そのヴォイドは外部的に制限されたものではなく、むしろ内部で活性化されたものとして存在している。まさにある対象の境界や形態がそのヴォリュームを示すのと同時に、対象それ自身によって仕切られた空気のヴォリュームという考えを喚起するやり方で、対象を構成することもまた可能である。ある対象の境界というのは、厳格に言えば、それを取り囲む空気のかたまりの境界でもある。

? 空間それ自体が芸術の主題

? 連続体であり、

? その内部から活性化される。

 他の芸術で芸術家は、人物像または生命のない物によって空間を表象しなければならないのに対して、建築ではその必要性がない。というのも、空間は直接的に理解され、他の対象によって空間を再構成する必要がなく、空間それ自体が視覚に関係している形態_である_からである。そして以前の建築評論家全てが、ゼンパーも含めて、壁、もしくは耐力部材を建築がその主題を伝えるために依拠している要素として見ていたのだが、ヒルデブラントは、これらは「統一的な空間のイメージの効果においてのみ特定の相対的な価値をもっている」と議論するに至った

3.4 Schmarsow, A 1893『建築創造の真髄』

ヒルデブラントと同様に、シュマルゾウは建築の空間と形態とを等しく見なしている。しかしこの点において、この二人の著述家の空間についての観念の類似性が消失する。シュマルゾウは自身の包括的で独創的な「内部からの美学」に着手し、それは感情移入の理論──事物を知覚するのに、精神が身体感覚の知識を事物に投影すること──に由来している。しかしこの感情移入の理論はこれまで、もっぱら中が密な対象を知覚するためにあったのだが、シュマルゾウは巧みにもそれを空間と引き合わせたのであった。私たちは世界を身体で経験することから始まり、様々な視覚および筋肉の感覚をとおして空間を直観する。

シュマルゾウにとっては、私たちが身体をもつがゆえに空間は存在するのであり、「要するに空間の構築物とは存在している人間から生まれたものであり、主体内部からの投影であるので、私たちが物理的に空間内にいるのか、または精神的に自分を空間に投影しているのかは関係ない」。言い換えると、造られた空間というのは、主体の身体特有の空間感覚の三次元における陰画であり、また彼が後に記したように、「私たちは空間の構築物を自分の外部にある身体として、それ自身の組織体とともに知覚している」。

 事実これらのたいへん示唆に富んだ考えは、それらの可能性において、一九二〇年代においてさえ建築家の間に流布していた建築空間の理解の範囲をはるかに超えていた。特に

 

3.5 Lipps, T 1893 「空間の美学と幾何学的‐視覚的錯覚」

リップスは感情移入の理論を展開したことでよく知られているが、空間の美学をリップスはこう説明した。「空間形態の美とは、その中で自由に動くという理想的な感覚を持ち続けることができる私の能力のことである。これと対照的に、醜い形態では、私はそれをすることはできずに、その中で自由に動き、その形態を観察したいという私の潜在的な衝動は妨げられて不可能にされる」。このリップスの理論はシュマルゾウの理論とはきわめて異なっている。というのは、リップスは囲うこととしての空間という概念を全く持っていないのであり——むしろ彼は、物質の内部にある生命を視覚化するやり方として空間に関心を持っていた。リップスの考えは、ヒルデブラントやシュマルゾウの考え方に比べて、建築にとっての固有性をより欠いている

 

4、「空間」から「空間性」へ

4.1 Riegl, A  1893『美術様式論』

芸術の発展が、付随的な外部の要素、つまり目的、材料、技術との関係において把握されるのではなく、内部の発展で把握されるということである。この内部の発展は、次々とおこる歴史上の段階それぞれで人々が様々な美的な知覚を持っているという見地からはじめて理解されうる。次の著作『後期ローマの芸術と産業』(一九〇一年)でリーグルは、古代の作品に現れる見方の違いは、主に空間性という感覚の変化の見地から理解されるべきであると唱えた。リーグルは建築に関する議論を次のように始めた。

後期ローマ建築の特異な性格は、空間の問題に関することである。後期ローマ建築は、空間を三次元の物理的量として認識しているので、近東の建築や古典建築とは異なっている。とはいえ空間を、無限で形がない量としては捉えてはいない──だから後期ローマ建築は近代建築と分けられる。

物質的な世界を解釈できる人間の心的能力が実際に歴史上の進歩をたどってきたとすれば、この進歩の証拠は、建てられたものとしての建築空間の進化のなかに見出されるべきであるという仮定である。

4.2 Frankl, P 1914 『建築史の基礎概念』

空間が建築史の本質的な主題であるというシュマルゾウとリーグルの提案に倣って、ルネサンスとルネサンス以降の建築の空間に関する分析の図式を展開した。フランクルが主に貢献したことは、初期ルネサンスの建物の「加算的な空間」とルネサンス以降の「空間の分割」とを区別したことにある。フランクルが加算的な空間〔という言葉〕で意味することは、建物の空間性は個別の仕切られた部分の連なりによって建設されるということだ。例えばバロック教会では、この仕切りが壊され始めた。

一五五〇年以降に展開され、加算的な空間と対極にあるのが空間の分割である。ここでの空間の分割とは、区切られた部屋の連なりとして構成された空間というよりむしろ、全体を通じ「空間の滑らかな流れがある」ものであり、

復習

(一)_囲うこととしての空間_。この空間はゼンパーが確立し、ベルラーヘとベーレンスによって展開された流儀に近いものだろう。一九二〇年代初期のほとんどの建築家にとって、これは最も一般的に理解されていた「空間」の意味である。まさにこれこそアドルフ・ロースの用語ラウムプランと一体化された意味であり、ロースがはじめて一九二〇年代に自身の住宅のヴォリュメトリックな室内について記述するのに用いた言葉であった。

(二)_連続体としての空間_。室内と戸外の空間が連続しており無限であるという考え方は、オランダのデ・スティルのグループやエル・リシツキーやモホリ=ナギがいたバウハウスのグループにとって重要であった。この考え方は戦前の著作、歴史家アルブレヒト・ブリンクマンによる『広場とモニュメント』(一九〇八年)の中で提言されていたのだが、この主題の展開こそが一九二〇年代に空間を考えるにあたっての、最初の見解の一つであった。この考えを最初にしかも明確に実証したものの一つが、ウィーンの建築家フレデリック・キースラーによるシテ・ダン・レスパス(空間のなかの都市)であり、これは一九二五年のパリ博覧会でオーストリアのパビリオンに設置された。キースラーは『デ・スティル』七号で次のように記述している。

については後に議論する)。

(三)_身体の拡張としての空間_。あるヴォリュームの中で想像される身体の拡張という見地から空間が認識されるという考え方はシュマルゾウから知られた。しかしながら、バウハウスの教授であるジーグフリード・エベリング【要注意】は『膜としての空間』(一九二六年)の著作の中には、この考え方の独創的な変形が登場した。この著作のミース・ファン・デル・ローエへの影響がフリッツ・ノイマイヤーによって最近になって指摘された(註10)。エベリングは空間を膜、つまり木の樹皮のように、人間と外部の世界との間にあり保護して覆うものとして捉えている。よって空間は、人間の行動によって直接形成され、人間の外部との関係に同一化された。空間は人間の生物学的な感覚によって形成され、人間の動きや生活への欲求によって活性化される「連続した力の場」となった。この空間に関するきわめて実存的な見方は、モホリ=ナギの『新しいヴィジョン』で言及されている。

 

5、ハイデガーとルフェーブル

5.1 Heidegger, M

  ハイデガーによる空間の理解とは、カントが提唱したような、世界を知覚する心の属性でもなく、さらに空間とは、世界に人間の存在がある前に存在するものでもない。つまり、世界にある存在から独立したところに空間があるわけではない。「空間は人間に対峙しているものではない。外部の対象でもなければ内部の経験でもない。人間がいて、その向こうや上方に_空間_があるというわけではない。」(「建てること、住むこと、考えること」358)この議論が最初に現れたのは、『存在と時間』(1927年)においてであり、そこでは次のように根本的な提案がなされた。「_空間は現存在の中には存在しないし、世界が空間の中にあるわけでもない_。空間は現存在の中には発見されないし、「あたかも」世界が空間の中にあるように現存在が世界を見ているのではない。しかしその「現存在」[Dasein]は、もし存在論的によく理解されているなら、空間的である」(『存在と時間』p.146)。空間性が世界内存在と私たちが遭遇する際の主要な様相であるのに対し、このような空間は事物から離れて知られるものではなく、他の事物との関係においてのみ知られ得るのだ。ハイデガーが書いているように、「注意深い世界内存在が予め考慮している、常にすぐ手にできるものは、そこにある。すぐ手にできるものの「場所」は、他のすぐ手にできるものに向けて方向づけられる」(『存在と時間』p.137)。そして彼は家の部屋がもう一つの対象である太陽との関係において方向づけられる方法を例として挙げている。そして「事物がある区域は_その_場に何かがあることを見落とさない限り、そのような区域として接近可能にはならない。」と指摘した。(『存在と時間』p.138)

  一九五二年の「建てること、住むこと、考えること」の論考でハイデガーは、建物とのより具体的な関係においてこれらの考えを述べていた。ハイデガーはこの主題について——慣習的な建築上の思考とは反対に——「建物は決して「純粋な」空間を形にしてはいない」(p.360)ことを強調した。むしろ、彼が議論しているのは、空間の中にある客体によって創造される存在としての「空間を占めるもの[locale]」(『存在と時間』でwhereの代わりに使われている用語)を見るべきであるということだ。「_したがって、空間は「空間」よりも空間を占めているもの〔locale〕からその本質的な存在を受け取る_」

5.2 Eyek, A. van

「場所」が「空間」の座を奪ったことである。1961にアムステルダムの孤児院について書いている。

私は、空間と時間が何を意味しようとも、場所と機会がより多くを意味するという結論に至った。というのも人のイメージの中で空間は場所であり、人のイメージの中で時間は機会だからである。決定論的な思考による精神分裂気味のメカニズムによって、時間と空間は引き裂かれ、氷ついた抽象のままである。……よって、家は場所の集まりであり——都市もまた場所の集まりである。(

5.3 Norberg-Schulz『実存・空間・建築』, C / Bachelard, G『空間の詩学』

を通じて与えられた、ハイデガーの考え方の解釈が、建築にとってより影響力があったというのは、おそらく正しい。

5.4 Lefebvre, A 1794 『空間の生産』

「空間」に関する最初で最後の包括的な批評であり、

?空間は概念的であると同時に物理的であり、社会関係の具現化でありイデオロギーの具現化である。建築作品が目指すものの一つには、思考によって生産された空間と、そこで思考が生じる空間との関係性の性質を明らかにすることがある。この分裂はすべての社会の特徴ではなく、自身の主要な目的の一つは、むしろ近代文化の特徴としてこの分裂に対峙することだとルフェーブルは強調した。

?「社会的空間」

社会的空間とは、社会の文化的な生活がその内部で生じているもの、すなわち個人の社会的な行動を「組み込んでいる」(p.33)ものであり、その空間はまず(日常生活の社会的な関係を通じて)知覚され、(思考によって)心に抱かれ、そして(身体的な経験として)生きられる。西洋の歴史全般の傾向として、社会的空間全体を抽象に翻訳してきたことがあり、ルフェーブルはその抽象を便宜的に「心的空間」として記述することで示している。ルフェーブルの課題とは、社会的空間を再び意識させることである。「社会空間が、一方では(哲学者や数学者によって定義された)心的空間から、他方では(習慣的、感覚的行為や「自然」の知覚によって定義された)身体的空間から、区別せずにはいかなくなるくらいに、社会空間はその特異性において明らかにされるであろう」(p.27)。

?「建築空間」と「建築家の空間」

「建築空間」は、人々がそれを経験するおかげで、社会空間を生産する手段の一つとなる。

一方で「建築家の空間」はルフェーブルにとって憎悪の対象である。「建築それ自体に関するすべての定義が、前もって空間という概念を分析し開示することを要求している」、心的空間と身体的空間の分裂に対して誰よりも責任がある。建築家は、その分裂を、意識を支配し操作する主体に自らが奉仕することで、補強し永続させてきたのだ。

建築家に与えられた空間はユークリッド幾何学の中立的で透明な物質ではなく、むしろすでに生産されたものである、というものである。「この空間は全く純粋無垢ではない。それは特定の作意や戦略に応じている。それはたんに生産を支配している{様式|モード}による空間でしかなく、よって資本主義の空間である」

もし、建築家が「完全な自由」という条件のもとで自分が創造していると思っているならば、彼らはだまされているということだ——というのも、建築家の目は彼ら自身のものでは全然なくて、目は彼らが生存している空間を通じて形成されているからである。

第三には、建築家が用いる装置は、——例えばドローイングの技術であるが——透明で中立な媒介物ではなく、それ自体が力を持った、ある種の言説であるからである。さらには、ドローイングという実践それ自体が、重要な手段の一つであり、それを通じて、社会空間は、交換の目的のために均一化された、さらには生きられた経験から流れ出て抽象に変えられる。

第四には、建築家によって実践されるドローイングの技術は、まさに建築の実践全てであるが、それは他の感覚のなかでも、視覚を特権化し、イメージや壮観が現実に置き換わる傾向を支えている。これもまた近代資本主義の中ではっきり示されている傾向である。