第14講-1 型 Type

1、用途分類

1.1  Blondel ,J.-F. 『建築教程』1771

64種類の建物リストを掲載ジャンルと呼びそれぞれに適したキャラクターを明らかにした。

1.2 Pevsner, N 『ビルディングタイプの歴史』1976

ここでタイプは用途を示す

2、形態分類

—Duran、J.N.L. 『建築学講義』1819

デュランは異なる建築形態を構成する技術を、その用途とは関係なく提示した

 

本章で提示したいのは、この概念が建築において使われてきた様々な_目的_についての手短かな考察である。

3、自然模倣としての建築観の防衛

3.1 Quincy, Q

 十八世紀、建築は自然を模倣する芸術だという見方が建築思潮における中枢をなしており、この考えは、建築が「熟練的技術」に対置されるところの「自由学芸」であるとの主張の根拠ともなった。この建築自然模倣論に対し、十八世紀中葉から特にカルロ・ロドーリの理性主義的な議論によって反論が加えられ始めた。フランスの建築理論家である、カトルメール・ド・カンシーが模倣に関してきわめて独創的な理論を発展させたのはこの自然模倣論を保護するためであった。カトルメールによれば、建築は文字通りにではなく、単に隠喩的にのみ自然を模倣する。その結果、人々はその模倣が架空のものであることを承知の上で、にもかかわらず想定上「自然」を実際に参照したとして認識されるのである。カトルメールが「型」を導入したのは、建築が参照するのは「自然」のどの部分なのか説明するためであった。今もしばしば引用される『系統的百科事典』の「型」の項目においてカトルメールは「型」(タイプ)と「手本」(モデル)を次のように区別している。

型という言葉は複製や完全な模倣をすべきイメージよりも、それ自体が手本に対してルールとして機能すべき要素という観念を示している。……技巧を実践において遂行するにあたって理解される手本とは、そのまま何度と無く反復されるべきものである。一方、型はひとつの対象であり、人はそれに従って互いにまったく類似しない芸術作品をも構想しうる。手本において全ては明快に示されているが、型において全ては多かれ少なかれ曖昧である。

「型」(タイプ)「ものごとの初源の理由であり、厳密に類似させるべき主題や動機を支配したり、備えたりすることができないもの」

「手本」(モデル)「完全なもので形態的な類似にしばられるもの」

この区別によってカトルメールは、建築は自然を複製しないが模倣はする、という議論をできるようになった。

3.2 Semper, G

ゼンパーの課題は「建築のこうした祖形的な形をトレースする」ことであった「祖形的な形態」を表す彼の用語法は原型〔Urformen〕、標準型〔Normalformen〕、胚〔Urkeim〕、動機〔Urmotiven〕といった一群の言葉の中で変化している──これらの言葉はすべてゲーテの動植物の形態理論から引かれた──が、一八五三年彼が英語による講義をロンドンで行ったとき用いた言葉は「型」だった。

 

ゼンパーは建築における「型」はテラス(石工)、屋根(木工)、暖炉(陶工)、壁(織工)という四つの主たる工程の中に潜む力を通して理解されるべきだと提案した。ゼンパーは次のように説明した。「この考え方は対象や形の起源がそれ以前の動機〔Urmotiven〕や環境による様式変化によることを明らかにするだろう」

 

4、マスカルチャーへの抵抗の手段として

4.1 Muthesius, H

 一九一一年からのドイツの工作連盟(Deutsche Werkbund)において、議論の主たるトピックはTypisierungであった──かつて「規格化」と訳されてきたが、現在の一般的解釈に拠れば最良の訳は「型」であろう。工作連盟における議論はムテジウスによる一九一一年の講演「我々はどこに立つのか」に始まる。その中で彼は当時の芸術が様式上の個人主義に向かう傾向を「ただただ恐ろしい」こととして攻撃した。これに対して「全ての芸術の中で、建築はもっとも容易に型[typisch]へ向かいうるし、そうすることでのみ目的を果たすことができる」と主張した。

製品の規格化が、ヘンリー・フォードが達成した方法によって生産の経済性に繋がり、ドイツの経済競争力を向上させられるという議論があり、確かに経済学者や熟練経営者によって採用された解釈ではあったのだが、おそらくこの議論は、ムテジウスや工作連盟の他のメンバーがもっとも関心を寄せたことではなかった。むしろ型はファッション、個人主義、アノミーに支配された大量消費の無秩序な世界に秩序を導入する手段だった。

4.2 Beherns, P

ペーター・ベーレンスがAEG社のためにデザインした製品が「型」として称されたのにも、相当の意味があったのである。

4.3 Le Corbusier

一九二〇年以降は建築にもだんだんと拡大していった。ドイツ国外では、このテーマについてもっとも良く知られた説明はル・コルビュジエの『今日の装飾芸術』(1925)だった。そこでは鋼製の事務机、ファイルキャビネット、旅行かばんが{型としての物|オブジェ=ティプ}と記述され、家具メーカーに認められる「うわべだけの派手な装飾に奔る昨今の狂乱的な傾向」に取って代わる合理的な選択肢として提示された。ル・コルビュジエはこう記した。「われわれはこの型としての物(オブジェ=ティプ)を展開する」方法をアパルトマンに導入しさえすればよい。そうすれば装飾芸術は自らの運命に出会うだろう。つまり型としての家具や型としての建築である」

5、連続性〔continuità〕を達成すること

5.1 Rogers, E.N.

連続性〔continuità〕は一九五〇年代後半に『カサベッラ』誌の編集者だったアーネスト・ロジャースによって展開されたテーマで、三つの関連する概念、「歴史」「コンテクスト」「型」はすべて一九七〇年代、八〇年代の建築言説において重要な用語となった。

5.2 Muratori, S

このような「型」の概念が最初に印刷されて世に出たのは、ヴェネツィア大学の建築の教師である、サヴェリオ・ムラトーリの著書の中だった。一九五〇年に始まった調査を基礎とするムラトーリの『ヴェネツィアの都市史動態研究』1960は、ヴェネツィアの建物区画と空地との形態学研究であった。ムラトーリが自ら同定した「型」という言葉にこめた意義は、歴史学的な地理学者がそれまで抽象的にしか扱わなかった、都市の変遷のあらゆる諸相──成長、環境、集合──を具体的な言葉で明らかにできる点であった。

5.3 Rossi, A

ロッシにとって型は二つのはっきりとした目的に役割を果たした

第一に、建築を与えられた機能から独立させて都市のレベルで考える手段を提供した

第二に、建物の形状や街路のパターンは、建物や街路が様々な機能を担ってきたにもかかわらず、都市の歴史を通して存続してきた。

 

6、意味の追求

一九六〇年代までには建築のモダニズムに対して、建築から意味を枯渇させてしまったとの不満が一般にささやかれるようになった。モダニズム建築家の第一世代が意味を消去したのは善意から──建築が伝統的に担ってきた社会階層の印を消し去るため──であったが、結果的には一九六〇年代に「意味の危機」として知られることになるものを生み出すようになっていた。この問題は確かにロッシの『都市の建築』を生み出す伏線となった。しかしロッシは生涯、この問題全体へ曖昧な距離を意図的にとり続け、決してこの問題を直接表現しなかった。しかし、ミラノの建築家サークルのもう一人のメンバー、ヴィットーリオ・グレゴッティが一九六六年に記し同年に出版した『建築の領域』〔_Il Territorio dell’Architettura_〕では、もっと直接的な注意が意味作用と意味の問題に向けられていた。グレゴッティはモダニズム建築の「意味論的な危機」が部分的には、類型学に関係すると示唆した。彼は十八世紀後半の建築家、特にルドゥーと、彼らの都市環境における公共建築の計画とを振り返って言及し、彼らは「都市の意味の可能性」を打ち立てつつ「型」の持つ意味の問題を管理しようとしていた」と主張した。