第8講 記憶 Memory

序 概説

1)       どういった意味で建築が持つ_感性的美_の一部を記憶が構成しているのかまったくはっきりしないのであり、そもそも記憶が感性的美に属しているかどうかは実に疑わしい

2)       「歴史」と「記憶」との違いはいつも明確であるとは限らない。

3)       三つの歴史的段階(20世紀のピーター・アイゼンマン、19世紀のジョン・ラスキン、18世紀のホレス・ウォルポール)それぞれにおいて、「記憶」は異なる意味を持っていた

4)       建築家と都市計画家が、特にポストモダンの時代に、「記憶」に熱狂した部分的な理由は、古代以来、哲学者や心理学者が建築や都市を、記憶の精神過程における現象を説明づけるための隠喩として用いることが定式化されていたことと関係

ex1)ジークムント・フロイト (Freud, G)

『文化の中での不満足感』

→ 精神の内に蓄積する素材が保存されることを描き出すためにローマを用いたのだが、それに続けて、他の点ではこのイメージが精神の心理機構との比較に適していないことを強調

→ しかし「永遠の都市」や記憶の地としてのローマについて多くのことが語られることが止むことはなかった

ex2)歴史家のフランシス・イエイツ(Yates, F. )『記憶術』

→ 建物と記憶とが結び付いているという想定を何よりも後押し

→ 長い弁論を記憶する手段として記憶宮や記憶劇場を用いる古代の記憶法  を再発見

→ しかし建築それ自体が「記憶術」の一つだとする歴史的権威に基づいたさらなるこじつけの主張がそれだけで正当化されることはほとんどなかった。

以上を始めとする様々な点で「記憶」という概念が複雑さを孕んでいることは、「記憶」を建築のカテゴリーとして考える上で、考慮しておかなければならない

 

「記憶」に関する三つの歴史的段階

1、 18世紀

建築の、そしてその他の芸術の感性的美における要素として記憶が最初に現れてきた記憶がその時代に現れてきたのは、知識の増大による断片化や、文化と文明の全体性が失われてしまうという感覚に対して、記憶が抵抗の力を持っているように思われたためであると一般には考えられている。芸術作品に対する反応のひとつの相である「記憶」を涵養することが、何らかのかたちでの回復につながるという希望を与えた。

 

1.1 「記憶」の発見の起源

Locke、J 『人間知性論』(1690年)

精神過程についての説明(記憶が個人に与える知覚の自由は、ロックが他の著作の中で市民に訴えかけていた政治的自由と一致)に始まる

Addison,J『スペクテーター』(1712年)

「想像力の快感」についての一連の記事

「快感は単に視覚をはじめとする諸感覚から得られるだけではなく、想像上のものをじっくり観想することによっても得られるものだ。・・・想像による第二の快感は、様々な対象物そのものから生じる観念と、それらの対象を再現する彫刻、絵画、記述、あるいは音声から受け取る観念とを比較する精神作用から発する」

芸術作品の力は作品が喚起する観念同士の連関〔association of ideas 観念連合〕に由来するということ

「私たちの想像力は……不意に、都市や劇場、平野や牧草地へと私たちを導いていく」、つまり、知覚に現前しているものからはあまりに遠すぎる土地へと私たちを導いていくのである。「そのように、空想の中に過去に過ぎ去ってしまった風景が浮かんでくるとき、当初見たときに心地よかったものは、さらにより心地よいようである。記憶は対象そのものが持つ歓びを高めるのである」

 

1.2 18世紀のイギリス

前半には、庭園建築、廃墟、そして彫刻の目的が特定の記憶や連想〔association〕を喚起することに置かれる傾向

例 ストーの庭園

後半にははっきりとした変化が起こり、これまでとは全く異なる、規定化されていない連想へと移行した 

トーマス・ホエートリーの著書『近代造園術についての批評』(1770)

象徴的な連想のモードから表現的なそれへの脱却として描写。自然の風景は、特定の指示対象なしに、あらゆる個人の中にそれぞれ異なる観念の連鎖を生み出し、その連鎖自身が美的な快感の要因となるだろうと考えられていた

 

1.3 18世紀末のイギリスにおける美学

1.3.1精神活動の三つに区分された段階——対象の直接的な認知、記憶、そして想像——の間の関係は主要な論点の一つ

Kames, Lord 『批判主義要論』

「私たちが住む世界を満たす事物は、その多数であることのみならず多様であることにおいても特筆に値する。これらは、精神に多くの知覚を与えるのである。知覚は、記憶の、想像の、そして反省の観念と結び付けられて、切れ目や隔たりのない完全な連鎖を形作るのである」

 

Allison,A. 『趣味の自然本性と諸原理についての試論』(1790)

「私たちの観念がより増大すればするほど、あるいは私たちの知覚がどんな主題をも取り込むように広がっていけばいくほど、私たちがそれに結び付ける連想の数は多くなり、我々がそれから受け取る崇高や美の感情も強くなるのだ」

 

Payne, Knight, R. 『趣味の諸原理についての分析的考究』(1805)

記憶は、「増進された知覚」へと至る手段を与えるもの。記憶は対象物が喚起することのできる観念の範囲を拡充「あらゆる知性による快感は、観念連合から生ずるのであるから、連想の構成要素がより複合的になればなるほど、そのような快感の得られる圏域も拡大する。知性豊かな精神にとっては、感覚に現れるほとんど全ての自然や芸術の対象物が、諸観念の新鮮な連鎖や組み合わせを刺激したり、前からあったそれらのものを活気づけ強化したりするのである」

 

1.3.2観念連合の欠点

1)美的快感を、教養教育の恩恵を受けた人々のためだけにあるものとして大幅に制限

・アリソン

「疑いのないことだが、一般の民衆は、そのような対象物から、教養を身に付けた人々が感じるよりも非常に劣位な〈美の感情〉しか抱かないのである。現代の教育がいちはやく結び付けるような〈連想〉を、彼らはひとつも持たないからだ」

美的なものについての説明が、特定の個人の経験という偶然的なものにそれほど強く依存していては、一般理論としては説得力に欠けた

 

2)美的なものの所在を全て主体の精神過程の中に位置付けたこと

 ・ペイン・ナイト

「我々の記憶の中でひとりでに互いの連合を作り出す」様々な観念から引き出されるのであり、対象物との遭遇からではないということ。快感は、対象物が喚起する様々な想念の連想から引き出される。

ドイツで主にカントによって展開された美学哲学では、美的なものは、対象物の感受と対象を観る主体が感じる感情との_中間に_ある何かに関係していた。この伝統に与する哲学者達にとって、ただ精神の内部しか扱わず、また美的なものは意識的には制御できないとする説明は、あまり関心を惹くものではなかった。

このような理由から、「記憶」や「連想」といった言葉が、カントの哲学や十九世紀ドイツの美学哲学の中に居場所を得ることがなかった。イギリスにおいてさえ、「記憶」や「観念連合」は、急速にその訴求力を失っていった

2、19世紀 Ruskin、J.

2.1『建築の七灯』(1849)の六番目:「記憶の灯」

古くなった18世紀の連想の理論を取り上げて、より耐久性のある強靱な概念へと転換した

「人間の忘れやすさを力強く克服し得るものは二つしかない。すなわち〈詩〉と〈建築〉である」。この二つのうちでは、建築の方が優っている。なぜなら建築は「人間が考えたこと、感じたことばかりでなく、彼らの手が触り、彼らの力が働き、彼らの目が捉えたものをも」提示するからだ。言い換えるなら、建築だけが提供し得るものは人間の労働の記憶であり、それは手の労働と精神の労働の両方を含むからであった。古代建築の姿が触発する記憶とは、古き時代の美徳や自由、クロード・ロラン風の風景の回想といったありふれた題目ではなく、その仕事がどのような性質のものであるかについての実感であり、その建物が作られた際の労働の状況なのである。

 

2.2 ラスキンと十八世紀の彼の先人達の間には「記憶」という言葉についての差異

2.2.1ラスキンにとっては想起されるものとは精神的な想像作用の終わりなき連鎖ではなく、もっと限られた特定のもの、すなわち仕事であるという点

2.2.2記憶は個人的なものではなく、社会的で集合的なものであるとされる点

国民文学や国民詩と同じく、建築もまた国民建築として、ある国家が共有の記憶を通じてアイデンティティを確立するための手段のひとつとする

2.2.3「記憶」という言葉は過去にのみ関わるものではなく、現在が未来に対して有する義務でもあるとされている点

 

2.3 「記憶」という言葉についての考え

「歴史」という言葉についての彼の構想と深く関わっており、その二つを区別しようとしても得るものはない

2.3.1彼の考えの影響その1)

古代建築物の保存に対して詩と同じように、建築もまた特定の誰かや現在だけに属しているのではなく、全ての時代に属しているのだと強調→建築に対して現在が有する権利は所有者が生きている限りのものであり、その建築を後代のために守ることが現在に課された義務

「私たちが過去の時代の建物を保存すべきかどうかというのもまた、都合や心情の問題ではない。_私たちにはそれに手をつける権利は全くないのである_。それは私たちのものではない。一部はそれを建てた人々に属し、一部は私たちに続く全ての世代の人類に属するのである。」

2.3.2彼の考えの影響その2)

新しい建築よりも、むしろウィリアム・モリスと一八七七年設立の古代建築物保護協会〔Society for the Protection of Ancient Buildings〕によるイギリスにおける保存運動の進展に対して

(モリスは「記憶」という言葉を彼の政治思想の重要な一要素へと展開していくことになる。)

2.3.3彼の考えの影響その3

・オーストリアの美術史家アロイス・リーグル(Riegl, A.)によるエッセイ(オーストリア=ハンガリーの政府による古い建造物の保護のための提案の一部として1903年に書かれた)古代建築物の持つ記憶としての意義というラスキンの観念をさらに精緻にしたもの→彼は、人々が厳密にはそうした古い建造物をどのような点で価値あるものと見なしているのかについて問いかける。

?「歴史的価値」〔historic-value〕、すなわちその作品が何らかの歴史的瞬間についての証しを提示しているということ

?「経年的価値」〔age-value〕、つまり時間の経過という一般化された感覚とを区別→ 大多数の人々に関する限り、求められるのは経年的価値の方であると結論

 

→ エッセイを書いた頃には、「記憶」という言葉は既に攻撃にさらされていた

ex) 1874年 ニーチェの「反時代的考察—生に対する歴史の利害について」というエッセイにおける有名な記憶の排撃と忘却の称揚

「ほとんど記憶なしでも生きること[……]は可能であるが、忘れることなしにはおよそ_生きる_ことなど不可能である」と断言

 

3、20世紀 モダニズム

3.1モダニズム建築にとって——モダニズム芸術にとってと同様——作品の内的本質を減ずるものや、作品との無媒介的な対峙の外側にあるものは、侵入させてはならないものであり、作品にとってのそうした脅威の筆頭が記憶だった

Scott、G. )『ヒューマニズムの建築』(1914)

「〈ロマン的欺瞞〉」を攻撃するなかで、「ロマンティシズムは造形的な形態にはそぐわない。ロマンティシズムは、漠然としたものや記憶に浮かんでくるものに関わりあいすぎるので、徹底して具体的であるもののうちには自らの自然な表現を見いだすことができないのだ」と述べる。ロマンティシズムの{表現手段|メディウム}である文学の重要性と価値が存在するのは、主として、その直接の素材を構成する音の意義、意味、連想の中である。反対に建築は、主に直接訴えかけることで私たちに影響を与える芸術である。建築の重要性と価値は、素材や形態と呼ばれる素材の抽象的な配置に主に宿るのである……根本的に、この二つの芸術の言語は、まったく異なるのであり、正反対ですらあるのだ。

3.2文学

絵画、彫刻、建築などの造形芸術の中で記憶が否定されたが、モダニズム芸術の一つの形態——文学——の中では、記憶は主要なテーマ

マルセル・プルースト(Proust,M.)『失われた時を求めて』

忘れることなしに記憶は存在しえないことと、記憶の利点は記憶と忘れることとの弁証法の中にあるということ

二十世紀初頭のもう一人の記憶についての偉大な研究者であるジークムント・フロイトとの彼の接点

3.3 建築における記憶の第三段階

20世紀の最後の1/3

一般には、二十世紀はそれ以前の歴史ではありえなかったほどに記憶に取りつかれていた。博物館、公文書保管所、歴史研究、文化遺産計画に対する20世紀の膨大な投資は、忘れることに怯えているように見える文化の兆候

歴史と記憶の差

Benjamin, W.

「歴史」——19世紀の学問のひとつ——は、支配権力の利益に与するように出来事を歪めてしまうものであった。

「記憶」とは個人が歴史の覇権に抵抗するための最も重要な手段

 

3.3.1 Bachelard, G.『空間の詩学』(1958)

目的は、「家が、人間の思考、記憶、夢を統合する最も偉大な力のひとつであることを示す」こと

バシュラールにとっての記憶は純粋に精神的なものであって、彼自身慎重に説明しているように、その記憶の概念は容易に記述というかたちで表現できるものではなく、当然、物質的な構造に置き換えられるものではなかった

3.3.2二十世紀末に起きた建築言説への記憶の再導入

記憶の再発明と関連づけられる人々

3.3.2.1イタリアの建築家アルド・ロッシ(Rossi, A.)『都市の建築』(1966)

− 正統的モダニズムに関する彼の批評の一部として、彼は、都市建築の新たな形態を開発する手段は、すでに存在する建築を研究することだと提案。「記憶」を導入したロッシの目的→ 「機能主義」以外のモダニズム建築のための論理的根拠を見つけること

 

3.3.2.2Rowe, C Koetter,F.「コラージュ・シティ」(1975)

モダニズムが未来のユートピア的環境の実現だけに固執していることに疑問理想の都市は「予言の劇場である_と_同時に、記憶の劇場として振舞うことはないのだろうか」と問いかけた

主張の要点は、人はその両者に対して選択権を持つべきで、未来に身を置くことを強制されるべきではないということ

・社会の記憶に関する近年の研究

→ 関心は物から、記憶に作用する媒介物としての活動へと移っている

3.3.3Connerton, P. 『どのように社会は記憶するのか』(1989)

「刻み込む」実践と「組み入れる」実践との違い

戦争記念碑のような物体は、その周りで執り行われる祭典や活動ほど重要ではない

3.3.4ド

996)