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Jun 2023

第5回 (建築以外) 『圏外編集者』

On
by Shunsuke Yamamoto

著:都築響一

ちくま文庫

圏外編集者レジュメ

 

議題

 

  1. A.「つまらない雑誌を生むのは「編集会議」のせいだと思う、つくづく。〜ひとり 5 個アイデアを出して、それをみんなで検討、とか。~」(P.23〜)→グループでの設計課題を行う際の流れやその他において重要と思うことは何か。気を付けていることなど。
    B.「知らないだれかのためではなく、自分のリアルを追求しろ」(P.38)「自分がものすごくおもしろいと思ったことは、面白いと思ってくれる人がほかにもいるはず」(P.38)→建築設計においては社会性や自分のやりたいこととのバランスについてどのような姿勢をとるべきと思うか。とりたいか。
    C.「企画の立て方やネタの探し方なんて、一度も教えてもらった記憶はない」(P.41)「それでは上司から学んだのはなにかと言うと、「おもしろがりかた」。」(P.41)「編集を学ぶヒントがどこかにあるとしたら、それは好きな本を見つけてじっくり読み込むことしかないと思う。」(P.43)→建築を学ぶとは何を指すと思うか。また、大学や先生、友達には何を求めるか。
    D.「ブック・デザインは汚いよりきれいなほうがいいに決まっているけど、それは正直言って最優先事項じゃない。」(P.49)「最終的には内容のあとを追っていくのが、エディトリアル・デザインのはず」(P.52)→プレボやポーフォリにおいては内容やデザインなど比重はどこにおくべきか。何を意識して作成しているか。
    E.東京の狭小ワンルームや地方の秘宝館、当時の日本語ラップなど注目されていないことに焦点を当てた取材→建築に関する雑誌を作るとして、何かニッチな部分で取材したいものはあるか。
  2. 都築さんはかなりロックな生き方で執筆・編集の仕事をされており、その楽しみや都築さんの価値観が全体を通じてかかれていた。→建築設計でも、企業やアトリエ、自分のアトリエを持つ ( フリー ) などなど生き方があるが、皆さんはどう生きたいか。何を重要視したいか。都築さんに共感、あるいは反感を覚える部分はあったか。ex)「ずっとフリーでいるということは、自分以外のすべての編集者は同志ではなく、ライバルということだ。」(P.10)「毎月の振り込みよりも、毎日のドキドキのほうが大切だから。」(P.12)「ひとりということは、相談する人がいないということ。だからぶれようがない。どうしても作りたいという思いの前に、「仲間」は助けにもなるけど、ときとして障害にもなりうる。」(P.19)

第5回 (建築) 『日本建築の空間』

On
by Shunsuke Yamamoto

著:井上充夫

SD選書

230519_日本建築の空間_一柳

 

議題

  1. 現代建築は実体的なものに着目した空間(彫塑的空間)に戻っていると感じますか?

    序章では昔の日本人は実体的なものに興味があると書かれています。そしてそれらの関心は「彫塑的構成の空間」へと変化していきますが、平安時代にかけて彫塑的構成の対をなす「絵画的構成の空間」が出現します。本書の3章(P89)ではこの時代に最も栄えた後に急速に衰えて現代にかけては死滅したと書かれています。そして現代においてはリノベーションをはじめとして、建築の部分(柱や梁などのモノ単位)から空間を考える設計手法が散見されます。このことから現代建築は彫塑的構成の空間に近しい空間へ戻って来ていると感じますが皆さんはどう思いますか?

  2. 「間」という空間の表現方法と、それらが与える効果についてどう考えますか?

    4章では内部空間の発展の要因として「付加」と「分割」があると書かれています。これらの操作によって生まれる具体的な空間は様々ですが、殆どの物は「間」という概念で括られるのではないかと感じます。そこであなたが考える「間」とはどのように表現され、どのような空間的な効果があると考えますか?またはこの設問に対する反論でも構いません。(それは「間」とは言わないとか)

  3. 今までで「行動的空間」を感じた建築とそう感じた要因を教えてください。また海外で感じた建築があればぜひ教えてください。

    「行動的空間」は非常に日本的な空間であると感じます。これらの空間は幾何学的空間と比較して全体像を見せないところが特徴的であり、日本人の性格(婉曲的な言語表現など)にも通じるところがあると思います。そこで日本で見た建築でどういう要素が行動的空間だと感じたのか、または海外なのに「行動的空間」を感じた建築があれば教えてください。