第4講 柔軟性 Flexibility

1. 柔軟性の起源

1.1 Colauhoun, A 1977
柔軟性という概念の背後には次のような哲学がある。現代の生活が求めるものはとても複雑で可塑的であるから、設計者が自分の役目としてそうした要求を見通そうとしても、結果的にその機能にそぐわない建物を生み出し、その設計者が働く社会のいわば「間違った意識」を映し出すことになるというものである。
1.2 Gropius, W 1954
柔軟性についての最も早い言及
「(1)建築家は建築を記念碑としてではなく、建築が奉仕する生活の流れを受け止める容器として構想すべきである、そして(2)その構想は、現代生活の動的な特性を吸収するのに適した素地を作り上げることができるよう十分柔軟であるべきだ」
1.3 一九六〇年代 「柔軟性」は建築批評の公理
ルイス・カーンの一九六一年の作品フィラデルフィアのリチャーズ医学研究所に対する批判
「その建築は、科学者たちの視点に立った柔軟性が求められていることについて十分に配慮されておらず、それほどうまく機能しているとは言えない」(Stern、1969、11)
1.4 Stirling, J 1965
レスター大学工学部棟について「変更可能で柔軟性を内在的に持つ一般化された解法を提示することが不可欠になっていた」

 

2. 柔軟性をめぐる論点

2.1 柔軟性を巡る最初の論争の争点
柔軟性というものを、建築作品をある面において不完全で未完結にしておき、その決定権を未来に残しておく方が達成できるのか、あるいは建築家はあくまでも柔軟性を内包した完成品としての建物を設計したほうが良いのか
2.2 不完全な建物による事例
イングランドの建築家ジョン・ウィークス 実行可能な唯一の解法は特定の諸要素が未完結のままになる未決定の建築なのであった。(Weeks、1963)
2.3 説得力のある反論
チーム{X|テン}と交流のあったオランダの建築家たち

2.3.1 アルド・ファン・アイク
1962年の論考で、「〈柔軟性〉と〈誤った中立性〉」を次のように攻撃した。
「そうした柔軟性を過度に強調すべきでもないし、もう一つの絶対的なもの、新しい抽象的な思いつきという範疇に組み入れるべきでもない。……私たちが気をつけなればならないのは、どんな手にもぴったりあう手袋とはいえ、それが手そのものになるわけではないということだ」(1962、93)

2.3.2 ヘルマン・ヘルツベルハー(同号『フォーラム』中)
「柔軟性」の行き着く先を強く批判
あらゆる将来的な可能性を予期しながら何一つ選びとらない建築は、退屈な結果を生み出し、その結果は人々の共感を得ることもない
単一の明確な恒常的形態のほうが必要
「それ自身は変化することなくあらゆる目的に利用でき、最低限の柔軟性で最善の解法を選び取る余地が残されている形態」
・これは機能主義に向けられた攻撃でもあり、人間味に溢れる人それぞれの使い方を、抽象的な「活動」という総称へと還元してしまう機能主義の傾向に向けられたものでもあった

 

3. 柔軟性の衰退

3.1 一九七〇年代後半までに、「柔軟性」は建築的性質としての魅力を多少失っていた
3.2 Stirling, J
シュトゥットガルト美術館(一九七七〜八二)の自らのデザインに関して、
「彼は現在の建築が持っている性質——退屈で意味を持たず、態度をはっきりさせることもしない、顔のない柔軟性と無制限性に飽き飽きしうんざりしている」(Stirling、1984、252)
3.3 Gropius ,W
「建築を設計する建築家の究極的な関心は人間による利用や居住に向けられている。一方現実はといえば、建築への建築家の関わり合いは、居住が始まった途端に断ち切られてしまうのである。「柔軟性」を設計の中へ組み入れることは、建築家に、建築に及ぼす支配力を未来にまで、つまり建築に対して責任を負う実際の期間を超えてまで投企できるという幻想を抱くことを可能にしたのである。」

 

4. 建築における「柔軟性」の三つの独立した戦略

4.1 冗長性(リダンダンシー)
建築家のレム・コールハース『S, M, L, XL』(1995)の中でアルンヘルムのドームについてこう述べる。
「おそらく伝統建築と……現代建築の間の最も重要でありながら、最も見落とされている違いが明らかになるのは、アルンヘルムの{円形建築|パノプティコン}のような超記念碑的で、空間を浪費している建築が柔軟である一方、近代的建築が形態と計画との決定論的な一致に基づいており、その目的はもはや「道徳的改善」のような抽象的なものではなく、日常生活のあらゆる細部を網羅した文字通りの目録でしかないということが判明するときである。本来の柔軟性とはすべての起りうる変化に対する網羅的な見通しではない。……柔軟性とは余白——異なるどころか正反対の解釈や用途をも可能にする余分な許容力——を創りだすことである。
コールハースがアルンヘルム刑務所に見出した空間的な冗長性は前近代建築の多くに見られる特徴。たとえば、バロックの宮殿など。
4.2 技術的手段による柔軟性

4.2.1 Rietveld, G 1924
ユトレヒトのシュレーダー邸は固定された間仕切はなく、かわりに可動式の間仕切を用いた

4.2.2 Prouve, J
プルーヴェによってパリ郊外クリシーに一九三九年に建てられた〈人民の家〉(see. ill. p. 146)
− その建物は午前中は屋根付き市場であったが、可動式の床、屋根、壁によって午後から夜にかけては劇場や映画館として使用することができた

4.2.3 Wachsmann, C
・戦後になると、軽量の建築構造と機械的設備の発展が注目を集める
一九五〇年代のアメリカで発展したアントン・エーレンクランツとコンラッド・ワックスマンによるシステム:全ての設備が建物の天井裏に置くことで、建築内での機能の割り当てと配置を自由に行うことを目指す

4.2.4 Friedman, Y、 Price, C
・このシステムに飛びついた建築家
フランス:ヨナ・フリードマン
イギリス:セドリック・プライス
<理由>
・これらのシステムが何かもっとすごいものへと変貌する潜在性を感じさせるものであったから
・フリードマンの考える個人の{住居|シェルター}のための新しい構造とは、
(1)表面が地面と必要最低限しか触れてはならない
(2)取り外し可能であり移動可能でなければならない
(3)個人の意志にしたがって変形可能でなければならない」(1957、294)
・ セドリック・プライス
1) ファン・パレス(一九六四;see ills. Above and p. 170)
鉄製格子状タワーの開放的な骨組みと上部のトラス屋根は、その下での有期限の筐体を構造的に支え、その内部全体のどこにでも割り当てることができる衛生設備と空調設備を保持していた

4.2.5 パリのポンピドゥー・センター
「柔軟性」が実際のところ象徴的なものにすぎなかったことは、最近行われた修理のために長期間の閉鎖を必要としたことに表れている

4.3 政治的戦略の一つとして

4.3.1 資本主義に対する批判
1950年代末に状況主義インターナショナルによって展開された
都市と都市空間に関しての戦略:デトゥルヌマン〔de’tournement〕_——すでに特定の用途を与えられてしまっている既存の建物や空間を(本来の用途からすれば間違った仕方で)流用すること——であった。

4.3.2 Lefebvre, H 『空間の生産』(一九七四)
「各機能は、支配された空間内にある特定の割り当てられた場を持つ。そのために、機能主義は機能を強調することで、まさにその多機能可能性を除去してしまうのである。」 ルフェーヴルにとって、資本主義による空間の支配は物理的にも、抽象的にも生じるものであった。機能的な区分が物理的に押し付けられることによってそれは生じるのだ。また精神が空間を捉える際に用いる抽象的な図式をも押し付けられるのだ。それ故、この空間の支配とは資本主義の最も侵略的な作用の一つとなる。
・ルフェーヴルが念頭に置いていたもの
→ 例えば初期のキリスト教がそもそもは俗世の用途のために作られたローマのバシリカを崇拝のための聖堂として採用したというような類いの事実
→ 行動が形態に先立って存在したのであり、形態は時の経過とともに目的と結びついたのだった。

第3講 デザイン Design

1. 語源

1.1 AAスクール〔Architectural Association School of Architecture〕の学長:ハワード・ロバートソン1932年に自身の著書『建築構成の原理』〔_Principles of Architectural Composition_〕を改訂する際に、その題名を変更して『現代の建築デザイン』〔_Modern Architectural Design_〕とした。それは二十世紀半ばにおける「デザイン」という単語の急激な普及を示している。
1.2 アリソン&ピーター・スミッソン「『デザイン』というのは下品な単語」むしろ「{配置|オーダリング}」という用語を好む
1.3 語の2つの意義
動詞:建物などの物を作るための指示をあらかじめ用意するという行為
名詞:二つのはっきり異なる意味
1.3.1 {設計図|ドローイング}という形態をとったもの
− イタリア語の「ディゼーニョ〔disegno〕」(ドローイング)から来たもの
− 英語では十七世紀までに、建築家による設計図に対して「デザイン」という言葉がごく普通に使われるようになった
1.3.2 ある指示に基づいて実施に移された作品を指すこと
− ある物を指して「このデザインは良い」と言ったりする場合
1.4 イタリア・ルネサンスにおける新プラトン主義的な思潮のなかでの、設計図という意味でも、実施に移された作品という意味でも、広く受け入れられていた
1.5 十七世紀の初めにはすでに英語にも定着サー・ヘンリー・ウォットン(『建築要理』〔_The Elements of Architecture_〕(1624)において)ヴィトルヴィウスの「ディスポジチオ〔dispositio〕」という用語の意味を「まさに初発の〈_観念_〉ないしはその〈_デザイン化_〉〔designment〕を、きっちりと十全に表現すること以上のなにものでもない」と説明

2. 両義性

2.1 ルイス・カーン:「デザインは、現実化——すなわち形態——がわれわれに命ずるものを、存在へと導くことなのだ」
2.2 ポール・アラン・ジョンソン:「建築はプラトン主義の最後の砦である」
2.3 「構成」と「デザイン」:この二つの単語は十九世紀を通じて共存し、ソーンの講義(559)にも見られるように、同義語的で交換可能なものとして使用
ex 1)フランク・ロイド・ライト (1931年)
「構成は死に、創造が生き残る」
ex 2)チェコの批評家、カレル・タイゲ
(1929年、ル・コルビュジエの「ムンダネウム」計画〔’Mundaneum’ project〕について)「構成。この言葉によって、ムンダネウムのあらゆる建築的失敗を要約することができる」と非難。
2.4 「デザイン」という言葉の普及:− それ自身が設定する両極性と関係.つまり、「デザイン」は、一方で「建てること」とそこに含まれる全てのこと、他方で建築に関しての非物質的なあらゆることとの対比関係を作り出す手段を提供
2.5 「デザイン」という言葉の両極性
1726年 レオーニは、アルベルティが『建築論』の冒頭で行った重要な区別を次のように翻訳「建設の技芸の全ては、デザインと構造とによって成り立っている」(1)。
リクワート、リーチ、タヴァナーが最近の翻訳の中(422-23)で指摘
「デザイン」という言葉は——少なくとも二十世紀後半の意味合いにおけるそれは——アルベルティが意図したこととはかけ離れたものであり、彼らはラテン語の原文どおり「lineamenti」という言葉をそのまま使っている。アルベルティによる区別についてのレオーニの言葉の選択は、「デザイン/構造」という言い回しが、十八世紀において、建築という一つの行為の二つの側面を記述するために広く了解され受け入れられたものだったことを示唆している。

3. 「デザイン」という言葉の魅力

3.1 自由技芸に加わりたいと切望しながらも、実際には建設の物質性に関わりあい、手仕事や商業的なものに関係せざるをえない職能にとって、自らの作り出すものにおける純粋に精神的な作業の部分を示す単語であるということ.このことが十六世紀イタリアの建築家たちにとっての「デザイン」という言葉の魅力であった。
3.2 二十世紀の初めになると、あるひとつの理由によって、手仕事的な内容と精神的な内容とを区別する必要性はますます高まっていった。

4. 建築家の訓練に起こった変化

4.1 二十世紀の初めまでは、フランスを除けばどこの国でも(またフランスでも相当程度)、建築家は、実践的な建築家の仕事場で研修生や見習いとして働きながらその仕事を習得。
二十世紀の初め頃、その訓練の場が、ほとんどどこでも、アカデミーや大学や建築学校へと移行。
建築家がその訓練のなかで学ぶことが「実践」ではなく「原理」になったこと。生徒がその訓練のなかで「作り出す」ものは「建築」ではなくドローイング——一般に言われるところの「デザイン」——になった。精神の産物としての建築——教育されるもの——と、物質的世界に結び付けられた実践としての建築との分離は、このとき初めて目に見える現実として出現。

5. グッドデザイン

5.1 イギリスにおける「デザイン」という言葉の別の意味
− 日用品や消費物に関連したかたちで、つまり「グッド・デザイン」というような表現で用いられていた。
− 1937年、ニコラス・ペヴスナー
「我々の周りにあるこれらの粗悪なデザインと戦うことは、道徳的な義務となっていた」

第2講 コンテキスト Context

1. エルネスト・ロジャース:『カサベラ コンティニュイタ』

1.1 モダニズム批判:場所に対する無関心さや、全ての作品を突飛なものへと作り変えようという欲求を批判。むしろそのかわりに、直接的な物理的意味においても、歴史的な連続体としても、建築をその周囲の環境との対話として考えるべきだとする。
1.2 用語:ロジャースの使用した用語は「ル プレシテンツェ アンビアンタリ〔le preesistenze ambientali〕」環境に先在するもの
1.3 比較:建築が場所に対して応答することについての従来の議論——イギリスの「{地霊|ゲニウス・ロキ}」に比較するとロジャースの概念が特徴的なのは、都市が表出し、その居住者の意識のうちにある歴史的な継続性に絶対的な重要性を置いた点
1.4 影響:エリオット「歴史的な感覚は、過去が過ぎ去ってしまった認識だけではなく、過去が今あることの認識をも包含する」の影響も大きい

「現存する記念碑的な作品は、それら同士の間に理想的な秩序を形成しているのだが、そのなかに新しい(真に新しい)作品が導入されることによって修正が加えられるのである。現存の秩序は、新しい作品が出てくるまえにすでに成されている。そして、新しいものが付け加えられた後もなお秩序が保たれているためには、現存の秩序の_全体_が、たとえほんのわずかであっても変更されねばならないのである。こうして、個々の作品の全体に対する関係、釣り合い、価値などが再調整される。そして、これこそが古いものと新しいものとのあいだの順応なのである。ヨーロッパ文学、そして英文学の形式についての秩序概念を認めたものであれば誰もが、現在が過去によって導かれるのと同様に、過去が現在によって変更されるということを途方も無いことだと思うことはないだろう。(1917, 26−27)」

2. アルド・ロッシの『都市の建築』(1966)

2.1 『都市の建築』は部分的には、_アンビアンテ_という概念についてのさらなる探求
2.2 ロッシの異議:ロジャースの_アンビアンテ_という概念に対するロッシの批判とは、その概念が十分に具体的ではないというものだった。

3. クリストファー・アレグザンダーの一九六四年の「形の合成に関するノート」(1978)

「コンテクスト」を「環境〔environment〕」の同義語として使用

「全てのデザインの問題は、二つの存在の間の適合を達成しようとする努力から始まる。つまり、ここで問題となっている形態と、そのコンテクストである。形態が問題の解決となり、コンテクストが問題を定義する。」(15)
「デザインの目的とは、実現可能な最良の方法において要求を満たすことではなく、「形態とコンテクストとの間の不適合を防ぐことなのである。」(99)

4. コーリン・ロウ:一九六三年からコーネル大学で教え始めた

4.1 アーバン・デザイン・スタジオにおいて、一九六六年に「コンテクスチュアリズム」と「コンテクスチュアリスト」が建築の語彙へと導入。 モダニズム建築に対する批判
4.2 ロジャースとの差異:ロジャースはどのように建築を通じて歴史の弁証法的な過程が明らかにされるかという点について関心を持っていたのに対してロウはもっぱら建築作品の{形態的|フォーマル}な特性に注意を払っていた。
ex) アントワンヌ・ル・ポートルによるパリのオテル・ド・ボーヴェ(1652−55) −フランスの典型的都市邸宅が、際立った特色を失うことなく不整形な敷地に適合するように、圧縮され、変形
4.3 コーネルスタジオの「コンテクスト」についての関心:形についてのもの、とりわけ図と地の関係についての研究によって特徴づけられる
4.4 コーネル大学におけるコンテクスチュアリズムの集大成、ロウとコッターの『コラージュ・シティ(1978)』

5. ケネス・フランプトン 一九七六年 一九七五年のジェームズ・スターリングのデュッセルドルフ美術館の設計競技の応募作品について、「コンテクスチュアル」な内容の観点から批評

5.1 スターリングが自らの作品について「コンテクスト」の観点から語り始めた。
ex) 一九七一年: セント・アンドリュース大学のアートギャラリーの設計案について 「それは、_形式的_であり同時に_コンテクスチュアル_だった」と。(1998、153)

6. 一九八五年の論評のなかで、アメリカの批評家であるマイケル・ソーキン

「現在建築家たちが『コンテクスト』に夢中になっていることの帰結とは、いくらでも建て増しできることへのある種の共通の自信である。感受性が高く熟練した建築家であれば、どこにでも介入できるはずだという暗黙の議論があるのだ」。(148)

7. レム・コールハース

一九八九年のフランス国立図書館のコンペの設計についての「日記」のなかで、苛立たしげに以下のように書いている。

「しかしながら、そのような容器が都市との関係性をいまだ持つことができるだろうか。持つべきなのか。それは重要なのか。それとも、『くたばれコンテクスト』がテーマになるのか」。(1995、640)

第1講 性格 Character

 □建物は意味を伝えるか?もし伝えるならいかにして識別するか?

1. 20世紀における性格という語の使われ方

1.1 コリン・ロウはこの語をモダニズムの語彙から抹消しようとした
建築の意味はその知覚のうちにのみ存在するため、建築はその直接の実在以上のものを表象できないとするものであった。
しかし多くのモダニストがこの語を使う
—オットー・ワグナー(建物の性格表現を明晰に)、
デヴィッド・メッド(色彩は建物の性格を決定づける)、
ケヴィン・リンチ(ボストンに望まれる特徴的な性格)、
ロバート・マックスウェル(ミシソーガ市庁舎の性格)

2. 過去20年間の性格の使われ方

2.1 シュルツは建築の基本用を「空間」と「性格」においた。このとき性格とは環境に自らを同定すること。特定の場所でいかに自らがあるかを知ること。
2.2 ダリボア・ヴェゼリー:「性格」という概念は建物とその裏にある意味とを区別しようとして、建築本来の表象性に混乱をきたした

3. 18世紀の「性格」

3.1 ジェルマン・ボフラン:『建築書』(1745)(用途の表現)
これらの様々な性格を知らない者、あるいはそれを作品の中で感じさせることのできない者は建築家ではない……大宴会場や舞踏場は教会と同じような方法で作られてはならない……建築におけるすべての様式やオーダーには、それぞれの建物の種別にもっとも適した特徴的な性格を見いだすことができる。
しかし、ボフランの考えは詩や演劇からの流用が多かったが、それらの類型は建築そぐわず、違う分野からの借用を考えた。これがロウなどの純粋性を重んじるモダニストには受け入れられなかった。
3.2 J=F・ブロンデル:『建築講義』(1766)(用途の表現)

すべての建物はその全般的な形状を決定し、どういう建物かを表明する性格を持つべきである。固有の性格が彫刻のみによって示されるのでは不十分である……優れた全体の建物配置[disposition]、形態の選択、それらの根底にある様式が、その種類の建物にのみ相応しい関係性を与えるのである

ブロンデルはさらに六四の異なる建物のジャンルの区別を行い、その中で各々に相応しい形態と装飾について論じた。それより前の『建築講義』第一巻第四章において、ブロンデルは建築において可能な性格の領域について説明した。そこでは少なくとも三八の性格を挙げたが、その中には、崇高、高貴、自由、男性的、堅固、剛健、軽い、優雅、繊細、牧歌的、純真、女性的、なぞめいた、壮大、大胆、恐ろしい、矮小、うわついた、放縦、両義的、不明瞭、粗野、単調、軽薄、貧弱などの言葉が含まれている

3.3 J=D・ルロワ:『コンスタンティヌス一世から今日までキリスト教徒が教会に与えた様々な配置と形態の歴史』(1764)(雰囲気の喚起)
建築で表現される主題を文学ではなく自然の体験から引き出すことを提案した
3.4 ロード・ケームズ:『批評の原理』(1762)とトーマス・ワットリー:『近代造園の言説』(1770)では18世紀後半の性格議論の中心である自然の感動に匹敵するものを建築にみつける努力が行われる。(雰囲気の喚起)
ケームズ:ケームズは建築の快の一部としてその有用性の表現を強調したが、芸術の基礎である「ある快い感情や感覚」を創り出すために、直接的で寓意的な趣向を凝らすことには批判的
ワットリーは、三つの性質──象徴的、模倣的、独創的──からなるより厳密な「性格」の分類を提示した
3.5 カミュ・ド・メジエール、ブレ、ルドゥを魅了したものは建築が思考に頼ることなく心に直接訴えかけるという考え
ル・カミュ・ド・メジエール(建築の特質』(1780)彼の性格の概念の説明を行うにあたって、絵画と演劇における類比を活用しながらも、究極的には建築が独自の性格を生み出しうるとしていた。(雰囲気の喚起)
3.6 アレクサンダー・ポープ『ロード・バーリントンへの書簡』(1731)(場を作る)
建てる、植える、何を意図しようとも
柱を立てる、アーチを架ける
土地を盛る、{岩屋|グロット}を掘る
すべてにおいて、決して_自然_を忘れるな
すべてにおいて_場_の_精霊_に問いかけよ
3.7 サー・ジョン・ソーン (用途、場、雰囲気)18世紀最も性格を主張した建築家
3.8 十八世紀に展開されたもうひとつの「性格」の包括的な議論はドイツ・ロマン派おもにゲーテと結び付けられるが、「表出する性格」の理論は様々なフランスの理論への反論において展開された。
ゲーテ:「ドイツ建築について」(1772)、すべての芸術や建築の真実はその製作者の性格を表現する度合いにかかわっていると推論した。
例:大聖堂の石工、エルヴィン・フォン・シュタインバッハの魂の表現
この「表出する性格」がその後のドイツ英語圏での性格論の主流となる。
3.9 ラスキン:『ヴェニスの石』(表出する性格を理解する条件)

一連のレリーフを用いて聖書の歴史を記録した建物は、あらかじめ聖書に親しんでいない者にはまったく用をなさない。……つまり繰り返せば、感情に訴えかける力は、見る者が非常識であったり、つれなかったりすると、変化したり、消えてしまったりするのだ。

続けてラスキンはゴシック建築の物質的な形の六つの性質(粗野、変化に富むこと、自然主義、グロテスク、堅固さ、過剰さ)を列挙し、ついでそれらの性質と建設者の精神的な傾向との対応関係を示した。

3.10 ヴィオレ=ル・デュック:
建物が持ちうる意味はその構造の完全性でしかなく、性格の体系などは不必要なものであった。
レオポルド・アイドリッツ、ヘンリー・ヴァン・ブラント、サリヴァン

4. 再度20世紀の性格

—あらゆる意味での性格という概念の、二十世紀初めにおける相対的な衰退は、おもに構造合理主義の影響によるものと見受けられる。構造合理主義が定着した所ではことごとく「性格」という語が愚弄された。例えばW・R・レザビーは一九一〇年の合理主義的な講演「冒険の建築」をこう結んだ。

近代的な精神にとってのデザイン手法とは、可能性の明確な分析という科学的な、あるいは技術者の、感覚からしか理解し得ないものである。──詩的な事柄に対するあいまいで詩的な扱い方や、そこから派生する家庭らしさ、牧場らしさ、教会らしさ──多様な趣を扱うこと──過去百年間建築家たちが行ってきたこととは異なるのだ。(95)