第8回 消費性

05パンテオン A.D.2 ローマ

私が学部3年生の時、今は亡き建築家篠原一男は故倉俣史朗を非常勤講師に招き、ショップという課題を学生に出した。それはインテリアデザインである。国立大学の工学系の建築学科においてインテリアデザインを、しかも商業建築を課題に出したのは当時としては新しい試みだったに違いない。商業施設なるものはそもそも『建築』ではなかったと思われる。戦後建築といえば公共施設であり、その後、住宅もやっと『建築』になり、そして商業施設がそろそろ『建築』に仲間入りするときだったのだと思う。倉俣史朗が来た次ぎの年磯崎新がパラディウムというディスコをニューヨークに設計した。バブルが始まる頃である。

目次

1.永遠の建築

 1.1 神殿
 1.2 神としてのオーダー
 1.3 王の建築

2.消費社会の到来

 2.1 人の建築
 2.2 フォードから西武

3.消費される建築

 3.1 消費される場としての建築
 3.2 ファッションと建築
 3.3 大量生産住宅
 3.4 消費の海
 3.5 デザインの消費

4.消費を拒む建築

 4.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
 4.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
 4.3 消費されない視覚:妹島和世
 4.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas
 4.5 環境派
 4.6 リノベーション派
 4.7 物質派

5.消費社会への戦略

 5.1 消費分析の上で0から考える:坂本一成
 5.2 消費の海へ身を投げる:伊東豊雄
 5.3 消費されない視覚:妹島和世
 5.4 消費だからの可能性:Rem Koolhaas

《参考文献》

  1. 伊東豊雄、2000、『透層する建築』、青土社、伊東の2000年までの仕事記録
  2. ジャン・ボードリヤール、1968(1980)、『物の体系』宇波彰 訳、法政大学出版
  3. ジャン・ボードリヤール、1979、『消費社会の神話と構造』今村仁司、塚原史 訳、紀伊国屋書店
  4. 西村清和、1997、『現代アートの哲学』、産業図書
  5. 松井みどり、2002、『ART IN NEW WORLD』、朝日出版
  6. 美術手帳編集部[編]、2005、『現代美術の教科書』、美術出版
  7. 東浩紀、2001、『動物化するポストモダンーオタク社会から見た日本』、講談社現代新書
  8. エイドリアン・フォティー、坂牛卓 辺見浩久監訳 2006、『言葉と建築』、鹿島出版会
  9. 柄谷行人、1988、『日本近代文学の起源』、講談社文芸文庫
  10. HERZOG AND DE MEURON、2002、『NATURAL HISTORY』、LARS MULLER PUBLISHERS
  11. 谷川渥、2006、『美のバロキスム』、武蔵野美術大学出版局

第6回 倫理性

04イマニュエル・カント 肖像画  (wikimedia)

建築はそもそも造形芸術だった(今でも過去形にはしたくないが)。しかし20世紀にはいってコルビュジエが言うように建築は「機械」となってしまった。機械というものは人の利便のためにある。それは社会のためにならなければならない。その意味でそれは機械の倫理を背負わされた。近代建築のそうした倫理性について、建築芸術論者は反論をする。しかし21世紀にはいると、この倫理性は20世紀とは少し様子が違ってきている。

また倫理性を少し離れた建築本来の姿に戻ろうとする流れも見受けられる。

目次

1.建築外的思考批判

1.1 倫理とは
1.2 建築における倫理性

2. ポストモダニズム期の倫理

2.1 一般論
2.2 建築においては
2.3 倫理学と建築の接点

3.21世紀の倫理性

―エコロジー

4悪党性とは…

4.1 みかんぐみ
4.2 石上純也
4.3 藤本壮介
4.4 坂牛卓

《参考文献》

  1. 佐藤俊夫、1960、『倫理学』、東京大学出版界
  2. エイドリアン・フォーティー、2000、『言葉と建築』、鹿島出版会
  3. デヴィッド・ワトキン、1981、『モラリティと建築』、鹿島出版会
  4. ジュージ・マイアソン、2007、『エコロジーとポストモダンの終焉』、岩波書店
  5. 東京国立近代美術館、1986、『近代の見なおし、ポストモダンの建築1960-1986』、朝日新聞社
  6. 石山修武、1984、『「秋葉原」感覚で住宅を考える』、晶文社
  7. みかんぐみ、2007、『別冊みかんぐみ2』、エクスナレッジ
  8. 石上純也、建築ノートNo1「二つの森のプロジェクト」 誠文堂新光社
  9. 坂牛卓、新建築、2005、7月号「生産の場から再生の場へ」新建築社
  10. 藤本壮介、SDレビュー2004「アンケート、建築家たちのサスティナブル観」鹿島出版会
  11. 安藤忠雄×中村光男、新建築、2006、別冊8月号「環境が切り拓く都市」新建築社

第5回 他者性

03フラ・アンジェリコ、受胎告知、1437−46、サン・マルコ美術館(フィレンツェ)、wikimedia

コンテンポラリーダンスグループ、レニ・バッソの主宰者北島明子は自ら振り付けをする立場ながら、「割り当てられた位置に、決められたタイミングでいく」ということに違和感を感じると言う。それは振り付けの概念をそもそも否定しているようにも聞こえる。しかしここで彼女はコンタクト・インプロヴィゼーションという、ダンサー相互の位置関係で振り付けが変わるような方法を編み出した。

つまりダンサーの主体性で踊りを見せるのではなく一つの主体と他者との関係性を見せる振り付けを編み出したのである。建築にも似たようなところがある。建築家が自らの強い主体性を打ち出すことに違和感を感じる人が多い。あるいは創作とは常に主体性と他者性の表裏一体となった化合物なのかもしれない。しかし主体と他者はそう簡単に線引きできるものでもない。

目次

1.近代主体の成立

 1.1 ルネ・デカルト
 1.2 科学の発展が神の力を希薄にした
 1.3 科学が建築に与えたもの
 1.4 科学が主体性を奪う

2.近代主体の成立

 2.1 科学が人間主体に取って代わる
 2.2 哲学的考察
 2.3 シミュレーショニズム

3.主体崩壊後の可能性

 3.1 主体と表現の乖離
 3.2 建築専門誌の衰退
 3.3 他者の入り込む美学
 3.4 主体と他者の拮抗

《参考文献》

  1. 江藤淳、1993年(1978年初版)『成熟と喪失−母の崩壊−』、講談社文芸文庫
  2. 大塚英志、2004年、『「おたく」の精神史、1980年代論』、講談社現代新書
  3. 隈研吾、2004年『負ける建築』、岩波書店
  4. 谷川渥、1993年『美学の逆説』、勁草書房
  5. 橋本治、2002年、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』、ちくま新書
  6. 当津武彦、1988年、『美の変貌−西洋美学史への展望』、世界思想社
  7. 多木浩二、2000年、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、岩波書店
  8. 松岡正剛、1995年、『フラジャイル−弱さからの出発』、筑摩書房
  9. テリー・イーグルトン、1996年、『美のイデオロギー』、訳・鈴木聡、他、紀伊国屋書店
  10. 佐々木健一、1995年、『美学辞典』、東京大学出版会

第3回 視覚性

02ピエール・コーニック/CSH#22、
1960、ロサンゼルス、ジュリアン・
シュルマン撮影

篠原一男はよく美しいエレベーションが一つ無いとよい建築にはならないと言っていた。東工大100周年記念館の設計をしていた頃、「その建物はどこから写真を撮るのか?」とスタッフによく聞いていた。建築を社会化するためには、建築ジャーナリズムにおける写真の重要性を篠原は強く意識していた。それが住宅であればなおさらである。篠原に限らず、メディアを意識している建築家はル・コルビュジエをはじめとして数知れない。

しかし一方でいい写真がとれればいい建築か? という疑問も湧いてくる。つまり建築は静止した一点から美しく見えることではなく使う人の体験の中で、つまり動的な視線の中で現れるのではないか?という疑念である。しかしそうした体験的建築でもどこかにいい絵がないと人に伝わらないというジレンマもある。建築体験をうまく伝える視覚とは?

目次

1.写真的(photogenic)とは?

2.photogenic

 2.1 ル・コルビュジェ
 2.2 ジュリアス・シュルマン

3.anti-photogenic

 3.1 アドルフ・ロース
 3.2 ルネ・ブッリ
 3.3 anti-photogenicの見直し
 3.4 伊東豊雄
 3.5 坂本一成

4.近代的視覚の変容1 —完璧ではないという価値感

 4.1 プロヴォーグ
 4.2 ブレ・ボケ写真の一般への消費
 4.3 曖昧な境界 —建築写真において—
 4.4 曖昧な境界 —建築において—

5.近代的視覚の変容2 —近眼的長時間の視覚

6.近代的視覚の変容3 −データーベースモデル

 6.1 視覚の変容
 6.2 前近代モデル
 6.3 近代モデル
 6.4 ポストモダンモデル

7.実践としての写真

 7.1 デジタルカメラの普及・一般誌の隆盛
 7.2 プチ○○の登場
 7.3 実践される写真

《参考文献》

  1. ビアトリス・コロミーナ、1996、『マスメディアとしての近代建築 アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』、(松畑強 訳)、鹿島出版会
  2. 多木浩二、2001、『生きられた家 経験と象徴』、岩波現代文庫
  3. 坂本一成、2000、『閉鎖から開放,そして解放へ—空間の配列による建築論』、新建築社、新建築、2000年11月号:60-67
  4. 五十嵐太郎、2001、「メディアと建築—建築史の中の写真」、INAX出版、10+1、23号:117-132
  5. 福屋粧子、1998、「建築はどのように伝達されるか 制度としての建築写真」、彰国社、建築文化、1998年2月号:218-224
  6. 五十嵐太郎、2001、「メディア」、彰国社、建築文化2001年2月号:136-137
  7. 菊池誠、2006、『複製技術時代における「アウラ」 建築/メディア/写真』、建築写真 Architectural Photography:48−51
  8. 豊田啓介(聞き手)、2006、『Special Interview with Julius Shulman』、建築写真、Architectural Photography:38−47
  9. 「スペシャル・インタビュー:ジュリアス・シュルマン」、casaBRUTUS2000年summer、マガジンハウス
  10. セルジュ・ティスロン、2001(原著1996)、『明るい部屋の謎 写真と無意識』、青山勝、人文書院
  11. 京都造形芸術大学(編)、2003、『現代写真のリアリティ』、角川書店
  12. 東浩紀、2001、『動物化するポストモダン—オタクから見た日本社会』、講談社現代新書
  13. 青木淳、2000、『住宅論—12のダイアローグ』、INAX出版
  14. ロラン・バルト、1997、『明るい部屋—写真についての覚書—』、みすず書房

第2回 男女性

01白のパンタロンと上着を着たシャネルとリュシアン・ルロン
ヴェニス 1931
エドモンド・シャルル・ルー『シャネルの
生涯とその時代』
鎌倉書房1990より

社会に出て建築の設計を始めて数年すると、周りの人の描いている図面が気になり始める。一体自分の描いているものはなんぼのものだと思うようになる。そして先輩同輩の図面をしげしげと眺めると、それぞれにデザインの癖のようなものがあることに気付く。

そのなかでも曲線を使うか使わないかというあたりはひとつの分かれ目のように感じた。現在のようにcadが普及しているとさほど感じないが、手描きだったそのころは、曲線を使うのは図面技術の問題からも、数値をうまく整えていく上でもなかなか難しいことだった。だからそれができる人はデザインができる人のように言われた。そして曲線=優美という一つの美的価値を獲得していたように思う。

ライトが曲線を多用したジョンソンワックスビルを女性的と呼んだそうだが、優美が建築の価値となるのと女性の社会進出とは無関係ではない。それまでの男性社会では建築は男性的であることがよしとされていたのだから。

目次

1.西洋建築にみる男女性の系譜

 1.1 セルリオの二項対立に見る男女
 1.2 ウォットンのオーダー分析
 1.3 建築は男性性優位の産物だった(J=F・ブロンデル)
 1.4 女性性と言われる形容詞が評価されるようになったのは最近のこと

2.日本文化に見る男女性の系譜

 2.1 縄文・弥生
 2.2 松岡正剛、真壁智治、四方田犬彦の女性性評価軸

3.性がつくる建築(1)西洋編

 3.1 古代、中世
 3.2 近世、近代
 3.3 現代

4.性が作る建築(2)日本編

 4.1 戦前
 4.2 戦後

参考文献

  1. 藤岡通夫 1971 『近世の建築』 中央公論美術出版
  2. 平井聖 1980 『図説日本住宅の歴史』 学芸出版社
  3. 内田青蔵+大川三雄+藤谷陽悦 2001 『図説・近代日本住宅史』 鹿島出版会
  4. エイドリアン・フォティー 坂牛卓 辺見浩久監訳 2006 『言葉と建築』、鹿島出版会
  5. 松岡正剛 1995 『フラジャイル』 筑摩書房
  6. 四方田犬彦 2006 『かわいい論』 筑摩新書
  7. エドモンド・シャルル・ルー 秦 早穂子 1990 『シャネルの生涯とその時代』 鎌倉書房

第14講-2 使用者 User

1、Lefebvre、H

使用者の空間は_生きられている_のである──表象化されるものではないのだ彼の考えによれば、「使用者」というカテゴリーは、構成員から空間の生きられた経験を奪いとってきた現代社会が、その空間の居住者たちをも抽象概念に転換することで、彼らを自己認識さえできなくさせるという更なる皮肉を成し遂げた仕掛けであった。ルフェーヴルの見解は、「使用者」に対する攻撃としてもっとも早いもののひとつである。とは言っても、ルフェーヴルにとって、「使用」と「使用者」は決して完全に否定的な概念ではなかった──実際、彼が最終的に願っていたことは、使用者が空間を専有し我が物にするための手段を回復するのを目にすることだった。

 

2、Hertzberger, H

機能的な決定論に抗う「使用」の解放力に関する類似した見解は、ヘルツベルハーが一九六〇年代初期以降に著したものの中に見ることができる。「使用者」は、ヘルツベルハーの論説の中で繰り返し用いられる用語である。建築のそもそもの目的とは、使用者に居住者となることを可能にさせること。つまり「使用者のために……各部分、各空間をどのように使いたいかということを自ら決定することができる自由」を作り出すことだと彼が考えていることは明らかである。

しかしながら、この極めて特殊で肯定的な意味での使用者が、広く通用するようになるのは一九九〇年代に入ってからであった。それまでは、「使用者」に関心が集まる最も一般的な理由は、設計を進める上で頼ることができる情報供給源としてであった。

 

3、スウェインの三つの目的 ?設計の情報源としての使用者

第一に、スウェインは他の多くの建築家と同じように、使用者の要望を分析することが新しい建築的解法──慣習的な建築計画あるいは建築公式から解放された真に「モダン」な建築の一事例を導くと信じていた。

第二に、「使用者」という用語を選ぶことは、機能主義パラダイムの延長上で理解されうるということがある──もしある関係性が建物と社会的振る舞いの間に存在すると言われるのなら、建物によって影響を受けるとされる人々を表す言葉が必要になる。「使用者」という言葉はこの必要性を満たし、いわば機能主義の方程式における第二の変数を提供する。そのために「使用者」は機能主義的規範の結果として見られることがあるのだ──その「使用者」に対する不満の中にはこの規範が孕む欠点から生じるものも存在するのである。

第三の目的は、建築家という職業にとって驚くほど有利で幸運な時代における彼らの一連の信念体系を維持することにあった。第二次世界大戦後の二十年間は、西欧諸国では福祉国家が発展し、アメリカでも史上もっとも福祉国家的な政策が発展した時期であった。富の所有権を大々的に再分配することなしに資本と労働の関係を安定化させるよう意図された政策の内部で、建築は西欧諸国の政府による戦略の重要な一部分として広く採用された。それは単に新しい学校、住宅、病院を提供すればよいという問題ではなく、これらの建物を占有する人々が社会の他のメンバー全員と「同等の社会的価値」これらの建物を占有する人々が社会の他のメンバー全員と「同等の社会的価値」をもっていると確信できるようなやり方で供給することが必要であった。実行においては異常なほどの自由を与えられながらも、建築家に課せられた使命とは──どうしても避けることのできない社会的な差異に直面しながら──平等社会に参画している感覚を促す建物を創り上げることであった。

 

4、公共建築と使用者

一九五〇年代と六〇年代に「使用者」という言葉が用いられた理由は、部分的には以下の二点だったと指摘できよう。ひとつは、建築家自身の信念体系を満足させること、つまり実際は国家のために働いていた一方で、恵まれない階級のために働いているという彼らの主張を正当化することであった。もう一つは、福祉国家的な民主主義の中で社会的、経済的平等へと邁進する社会の出現を提供する手段として、建築が特別で独特な地位を占めることを可能にすることであった。しかし、現実には社会的、経済的格差は存在し続けたのである。 「使用者」と「使用者の要望」に対する関心が薄れていったのは、一九八〇年代に公共受注が減少したのと軌を一にする。「使用者」という言葉がもはや建築家にとって価値あるものではなくなっただけでなく、建築家の社会的な権威が減退するにつれて、「使用者」は現実的な脅威、つまり、建築家の意図を挫く管理不可能な無秩序を擬人化したものとなったのである。

 おそらく、「使用者」という言葉に対する不満のもう一つの理由は、それが人々の建築作品への関係を性格づける上で不十分なやり方だったことにあるのだろう。例えば誰も彫刻作品を「使う」と語る者はいない。しかし建築では、いまだにそれを用いる人々との関係を語るよりよい表現がないのだ。ある最近の本では、「使用者」という言葉を「積極的な行為や、意図とずれた使用の可能性をも示唆するので、占有者、占拠者、居住者といった言葉に比べると……より適切的な用語である」(Hill, 1998, p.3)として再評価した。一九九〇年代末までには、「使用者」は恵まれない人々や抑圧された人々という含意をもはや失ってしまい、建築家たちが自らの仕事を批評する手段となったようである

第14講-1 型 Type

1、用途分類

1.1  Blondel ,J.-F. 『建築教程』1771

64種類の建物リストを掲載ジャンルと呼びそれぞれに適したキャラクターを明らかにした。

1.2 Pevsner, N 『ビルディングタイプの歴史』1976

ここでタイプは用途を示す

2、形態分類

—Duran、J.N.L. 『建築学講義』1819

デュランは異なる建築形態を構成する技術を、その用途とは関係なく提示した

 

本章で提示したいのは、この概念が建築において使われてきた様々な_目的_についての手短かな考察である。

3、自然模倣としての建築観の防衛

3.1 Quincy, Q

 十八世紀、建築は自然を模倣する芸術だという見方が建築思潮における中枢をなしており、この考えは、建築が「熟練的技術」に対置されるところの「自由学芸」であるとの主張の根拠ともなった。この建築自然模倣論に対し、十八世紀中葉から特にカルロ・ロドーリの理性主義的な議論によって反論が加えられ始めた。フランスの建築理論家である、カトルメール・ド・カンシーが模倣に関してきわめて独創的な理論を発展させたのはこの自然模倣論を保護するためであった。カトルメールによれば、建築は文字通りにではなく、単に隠喩的にのみ自然を模倣する。その結果、人々はその模倣が架空のものであることを承知の上で、にもかかわらず想定上「自然」を実際に参照したとして認識されるのである。カトルメールが「型」を導入したのは、建築が参照するのは「自然」のどの部分なのか説明するためであった。今もしばしば引用される『系統的百科事典』の「型」の項目においてカトルメールは「型」(タイプ)と「手本」(モデル)を次のように区別している。

型という言葉は複製や完全な模倣をすべきイメージよりも、それ自体が手本に対してルールとして機能すべき要素という観念を示している。……技巧を実践において遂行するにあたって理解される手本とは、そのまま何度と無く反復されるべきものである。一方、型はひとつの対象であり、人はそれに従って互いにまったく類似しない芸術作品をも構想しうる。手本において全ては明快に示されているが、型において全ては多かれ少なかれ曖昧である。

「型」(タイプ)「ものごとの初源の理由であり、厳密に類似させるべき主題や動機を支配したり、備えたりすることができないもの」

「手本」(モデル)「完全なもので形態的な類似にしばられるもの」

この区別によってカトルメールは、建築は自然を複製しないが模倣はする、という議論をできるようになった。

3.2 Semper, G

ゼンパーの課題は「建築のこうした祖形的な形をトレースする」ことであった「祖形的な形態」を表す彼の用語法は原型〔Urformen〕、標準型〔Normalformen〕、胚〔Urkeim〕、動機〔Urmotiven〕といった一群の言葉の中で変化している──これらの言葉はすべてゲーテの動植物の形態理論から引かれた──が、一八五三年彼が英語による講義をロンドンで行ったとき用いた言葉は「型」だった。

 

ゼンパーは建築における「型」はテラス(石工)、屋根(木工)、暖炉(陶工)、壁(織工)という四つの主たる工程の中に潜む力を通して理解されるべきだと提案した。ゼンパーは次のように説明した。「この考え方は対象や形の起源がそれ以前の動機〔Urmotiven〕や環境による様式変化によることを明らかにするだろう」

 

4、マスカルチャーへの抵抗の手段として

4.1 Muthesius, H

 一九一一年からのドイツの工作連盟(Deutsche Werkbund)において、議論の主たるトピックはTypisierungであった──かつて「規格化」と訳されてきたが、現在の一般的解釈に拠れば最良の訳は「型」であろう。工作連盟における議論はムテジウスによる一九一一年の講演「我々はどこに立つのか」に始まる。その中で彼は当時の芸術が様式上の個人主義に向かう傾向を「ただただ恐ろしい」こととして攻撃した。これに対して「全ての芸術の中で、建築はもっとも容易に型[typisch]へ向かいうるし、そうすることでのみ目的を果たすことができる」と主張した。

製品の規格化が、ヘンリー・フォードが達成した方法によって生産の経済性に繋がり、ドイツの経済競争力を向上させられるという議論があり、確かに経済学者や熟練経営者によって採用された解釈ではあったのだが、おそらくこの議論は、ムテジウスや工作連盟の他のメンバーがもっとも関心を寄せたことではなかった。むしろ型はファッション、個人主義、アノミーに支配された大量消費の無秩序な世界に秩序を導入する手段だった。

4.2 Beherns, P

ペーター・ベーレンスがAEG社のためにデザインした製品が「型」として称されたのにも、相当の意味があったのである。

4.3 Le Corbusier

一九二〇年以降は建築にもだんだんと拡大していった。ドイツ国外では、このテーマについてもっとも良く知られた説明はル・コルビュジエの『今日の装飾芸術』(1925)だった。そこでは鋼製の事務机、ファイルキャビネット、旅行かばんが{型としての物|オブジェ=ティプ}と記述され、家具メーカーに認められる「うわべだけの派手な装飾に奔る昨今の狂乱的な傾向」に取って代わる合理的な選択肢として提示された。ル・コルビュジエはこう記した。「われわれはこの型としての物(オブジェ=ティプ)を展開する」方法をアパルトマンに導入しさえすればよい。そうすれば装飾芸術は自らの運命に出会うだろう。つまり型としての家具や型としての建築である」

5、連続性〔continuità〕を達成すること

5.1 Rogers, E.N.

連続性〔continuità〕は一九五〇年代後半に『カサベッラ』誌の編集者だったアーネスト・ロジャースによって展開されたテーマで、三つの関連する概念、「歴史」「コンテクスト」「型」はすべて一九七〇年代、八〇年代の建築言説において重要な用語となった。

5.2 Muratori, S

このような「型」の概念が最初に印刷されて世に出たのは、ヴェネツィア大学の建築の教師である、サヴェリオ・ムラトーリの著書の中だった。一九五〇年に始まった調査を基礎とするムラトーリの『ヴェネツィアの都市史動態研究』1960は、ヴェネツィアの建物区画と空地との形態学研究であった。ムラトーリが自ら同定した「型」という言葉にこめた意義は、歴史学的な地理学者がそれまで抽象的にしか扱わなかった、都市の変遷のあらゆる諸相──成長、環境、集合──を具体的な言葉で明らかにできる点であった。

5.3 Rossi, A

ロッシにとって型は二つのはっきりとした目的に役割を果たした

第一に、建築を与えられた機能から独立させて都市のレベルで考える手段を提供した

第二に、建物の形状や街路のパターンは、建物や街路が様々な機能を担ってきたにもかかわらず、都市の歴史を通して存続してきた。

 

6、意味の追求

一九六〇年代までには建築のモダニズムに対して、建築から意味を枯渇させてしまったとの不満が一般にささやかれるようになった。モダニズム建築家の第一世代が意味を消去したのは善意から──建築が伝統的に担ってきた社会階層の印を消し去るため──であったが、結果的には一九六〇年代に「意味の危機」として知られることになるものを生み出すようになっていた。この問題は確かにロッシの『都市の建築』を生み出す伏線となった。しかしロッシは生涯、この問題全体へ曖昧な距離を意図的にとり続け、決してこの問題を直接表現しなかった。しかし、ミラノの建築家サークルのもう一人のメンバー、ヴィットーリオ・グレゴッティが一九六六年に記し同年に出版した『建築の領域』〔_Il Territorio dell’Architettura_〕では、もっと直接的な注意が意味作用と意味の問題に向けられていた。グレゴッティはモダニズム建築の「意味論的な危機」が部分的には、類型学に関係すると示唆した。彼は十八世紀後半の建築家、特にルドゥーと、彼らの都市環境における公共建築の計画とを振り返って言及し、彼らは「都市の意味の可能性」を打ち立てつつ「型」の持つ意味の問題を管理しようとしていた」と主張した。